『馴染みて治に至る』


 面識の薄いものに対する人の警戒心は強い。
 要するに、受け入れがたいのだけれども、それは何もボクがいわゆる神経症気味だからそう感じるという話ではなく、みんな大なり小なりそういう部分はもっている。
 たとえば、友人Aと二人で遊んでいるとしよう。そのときに不意にAの友達のBとバッタリ出くわす。AはBと友達だけれど、自分はBのことを全く知らない。そんな関係性にあってAが出し抜けに確認もなくバッタリ出会ったそのBにこんな提案をしたらどうだ。
 「オレらこれからメシ食い行くんだけどさ、暇ならお前も一緒にいこうぜ!」
 おっと...... なのである。
 “おっと” ぐらいなら、まだ鈍感が功を奏しているようなもんで、ボクのようにナルチシズム&コンプレックスばりばりの、いわゆる人見知りSランクのナーバス人間からしたらどうだ。目をむいてこう思うだろう。
 “マジか、コイツ!!!!”
 やめてけ〜れゲバゲバ、なのである。
 無論、そんなこと口にすることも態度にあらわすことも憚られるもんだから、この場合もう胸の前で十字を切りながら、そのAの友人Bが無配慮のアホでないことを祈る or 超鈍感パリピだったときのために急いで帰宅理由を考えるしかないのだけれど――まぁそれは極端な反応として――とにかく、そういうシチュエーションが起こったとあらば、たとえどんなに意識的にウェルカムな気持ちでいたとしても、状況の変化に対する少なからずの戸惑い、あるいは体面的スイッチの切り替えとでもいいますか、そういうものが瞬間的にでも生じることは否めまい。
 “その友達の友達が永野芽依ちゃんとか広瀬すずちゃんとかだったら?” という問いがどこからともなく聞こえてきそうだが、無論、そのような一見歓迎されるような相手であっても同様である。
 “お近づきになりたい” とか “よく思われたい” 等、何かしらの恩恵を受けたいと意識することになれば、興奮したり、緊張したり、そういう方面で身構えること必至。とにかく、慣れのない対象には、取っ付きにくい気持ちを抱いたり、構えたり、ポジティブであれネガティブであれ、ある程度の距離を置く、ないし距離が置かれるものなのである。
 こういう言いきりをすると、「いや、そんなこと全然ない」と俄然反駁される方もいるだろうが、意識と無意識を氷山で例えたフロイドの例をとれば、本人が意識的に自覚できてることなんて、海上に表出しているほんの一片、全体のほんの10分の1(もしくはもっと少ない)程度でしかないわけであるからして当てにならない。リアルは、海面の下にどっぷり浸かっている残り10分の9の無意識部分であって、自分のほとんどの態度は無自覚、精確にいえば、これこれこういう原因だろうと自身で理解することとはまったく予期に反する原因(もっと根が深く、自分にとって都合の悪いところ)からきていたりするものなのである。こわいですよね。だから、“全然そんなことない” という自覚自体が実は全然そんなことなかったりする。無論、そんなもん形而上学的なうわごとだと言われればそれはその通りでもあるからしてそれ以上弁論の余地はないのだが、しかし自分に対する判断は、その正誤に関わらず自分にとって “都合の悪い考え” を、受け容れられる限りにおいてより多く考慮に入れたほうが複眼的であり精確ということにもなってくると思うので、そういう決め付けに一理を見出だしつつこの筋で話を進めさせてもらうが、ともあれ、意識だとか無意識だとかそんな小難しい話を持ち出すまでもなく、要は馴染みの無いものに対しては誰しも何かしらの抵抗をもつ(作用に対する反作用が働く)ということである。
 そしてそれは対、人(ヒト)という話に限らない。
 サンフランシスコに人生初の海外旅行に行ったとき。あちらの食い物のボリューム&カロリーに、即日胃をやられて死にかけた思い出がある。
 胃薬を持参してなかったもので現地の薬局で調達することにしたのだが、あいにく50カ国語に堪能なボクも英語に関してはスピークするほうもリーディングするほうもチンプンカンプン。――ということで、サンフランシスコ在住の知り合いの方にオススメのものを買ってきてもらったのだが、買ってきてもらったそのブツを眼前にビツクリ仰天。ドリンクタイプの胃薬だったのだけれど、何に目を丸くしたっつったらそのビジュアル。ないし、そのカラーリング。
 ショッキングピンクだった。
 そりゃもう鮮やかというかなんというかね。世界堂かどっかにシレッと置いといたら、美大生もどきが絵の具と勘違いして購入しかねないレベルよ。
 よく海外土産で派手な色のお菓子をもらったことなんかがあったが、まさかこういうメディカルな代物にまでそういった色彩感覚を発揮させているとは。まさにカルチャーショックであったが、ともあれ自分のなかの価値観としてやはりこの色味はキャンバスにぶちまけれても、決して胃にぶち込むような色調ではない。
 そんでまた色のインパクトもさることながら、その量も500mlのペットボトルとまではいかないが、ハーフサイズのペットボトル強ぐらいはあって、これで一回分というんだから吐き気もひとしお。
 “飲めない”
 決して体調に余裕があったわけではないのだが、そのブツを見るや否やもう率直にこう思った。
 買ってきてくれたHe曰く日本でいうところの太田胃散ぐらいポピュラーな代物的な口上だったが、とはいえ、こちらとしてはやはり何をどう説明されても “はじめまして” がすぎる。
 結局、ホテルで飲むと言って持ち帰ったものの、ビジュアルも受け容れられなければ、信用ももちきれず、薬は飲めずじまい。苦しみ悶えながらもひたすら寝るという根性技でどうにかこうにかその場を乗り切り、まぁ幸い大事には至らなかったのだが、要するに、そういう類いの人見知りならぬモノ見知り、ひいては考え見知り、環境見知り等々の “馴染み薄” 案件というのが、我々の日常のなかにあっては様々な要素との関連のなかにそこかしこと転がっており、それがしばしば表出、ある種の障壁となって我々の前に立ちはだかれば、事によって難儀がもたらされるんだ、と。まぁそういう次第である。
 時にそれがモノだったり、文化だったり、慣習、環境、価値観、思想、etc......。
 そしてそれは、ボクにとって年に一度の恒例行事である健康診断のなかにも潜んでいたわけでして......。

 毎年誕生日前後に自分への誕生日プレゼント的位置付けで必ず健康診断を受診しているのだが、その検査のなかに何年やっても未だに取っ付きにくい検査がある。
 それはオプションでつける胃カメラでも、胸部CTでも、MRIでもなく、健診界のベン・デイビス(定番)。ゴリラじゃなくて、ゲリラなアイツをテイクアップ。
 そう。便潜血検査である。
 便潜血検査というのはいわゆる気休め版大腸がん検診とでもいいましょうか。端的にいえば検便のことで、腫瘍によくみられるとされる出血が便に付着しているかどうかでそのリスクを確認する検査でして、二日分の便を採取し提出するというものなのだが、これが毎度のことながらとにかく煩わしい。
 そもそも二日分をあいだを空けずに採らなきゃいけないということ自体、便秘なボクにとってはかなりのミッション;インポッシブルなのだが、それに加えてボクの頭をことさら悩ますのがその採取手段。
 汚い話で恐縮だが詳述すると、排泄したそのブツの側面をスティック状の採便棒で満遍なくなぞるように擦って、採便棒の先っちょ1cmぐらいの段々になってる溝部分にローソンのつくね棒みたいなイメージで絡め採らなきゃいけないんだけれども、これがまたことのほか難儀で、キット付属の説明書に載っている “こんな感じで” という参考写真(これがつまりローソンのつくね棒みたいな感じ)のようにピックアップ&モデリングするのが、これはプロの左官職人でも彫刻家でも焼き鳥屋でも容易にはいかない仕様。
 というのも、なんせ便の質というのが、自分が便秘症だからかもしれないが、毎度、まとまりを成しているその見た目からは想像もできないほどドライというか、硬く、また粘度も低く、便を絡めとろうとしても、うまく付着もしなければ、成形もままならないというバッド・コンディション。それを片手一本・小さな棒一本でこなさなければならないというわけだから、これはもうウルトラE難度のヨーロピアンエクストリーム。
 そのうえ、採った便を容れる容器の入り口なんかも不親切極まりないといいますか、シャーペンの芯を足す穴ほどに激小・激狭なもんだから、ほんとにローソンのつくね棒ぐらいスマートにモデリングしないと、完全にベンザブロック。投げ遣り且つ乱雑に絡めとってそのまま突っ込もうとすると、容器の入り口で引っ掛かって、便がバースト。片手にピストル、心に花束、唇に火の酒、指先にウンコなのである。
 とにかく集中力とテクがいる。
 なので、作業をするにあたってはアイツをまずどうにか採取しやすい状態にステイさせて、手術台の上の患者と医師ほどに、真剣に向き合える環境をつくりださなければいけないんだけれども、しかし、現代の進み過ぎたトイレ事情では、それ自体がまたヒジョーに難しいことであるという悲境。
 なんせ、最近の便所はほとんどが洋式タイプであり、洋式便所といったら当然前後左右、乃木坂、欅坂、日向坂、吉本坂と全方位坂道スタイル。排便したらコウンちゃん達が滞り無く便所の水溜まり部分に即入水するシステム。要するに、いつも通り普通にしててはコウンちゃんたち、ジャック・マイヨールばりにすぐ潜水しちゃって採りようがないのである。当然、水につかっちゃったブツを引っ張り上げて採取なんてそんなハードボイルドなことボクにはできないし、そもそも水に浸かってしまっては便の側面に付着する潜血を確認する検査の本義にも反しかねない。だからといって「よ〜し、今日は特別!」って、家のフローリングに堂々とレイアウトするわけにもいかないというか、そんなこと天地がひっくり返ってもしたくないのだから、もう採便前の段階からお手上げ。
 じゃあどうすればいいのかというと、付属の説明書には、“洋式でする場合” ということで丁寧に対処方法が記載されてあって、それによると、便器のフロント部分(男性が座ったときにポコチンの真下にあたる傾斜がなだらかになってるあの広場部分)にティッシュを敷いて、直上に肛門がくるよう、便座に逆さまに座ってそのフロント部分に排便、便をそこでステイホームさせればいいという補足が淡々とされてあるわけだが、いやそれホンマか公式!?
 ハッキリ言って、正気の沙汰とは思えない。
 そりゃ、家のトイレが『おぼっちゃまくん』にでてくる御坊茶魔の家の洋式便器ぐらいバカでかければそれもやぶさかではないのだが、あいにく我が家の便器は本家ディズニーのアトラクションも合唱をためらうぐらいのイッツ・ア・スモールワールド。フロント部分が窮屈&急勾配。
 そこにきて、便秘症のボクときたら出るとなったら一発がそりゃもう、ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード。便器の構造状、フロント部分というと淵に向かって迫り上がってるわけで、その位置に肛門をもってくるとなればボウル面(接地面)とケツとの距離が否応無く近接することになるわけでしょ。そこでじゃあ “いざ尋常に” って、景気よく脱糞なんてこいてごらんなさいよ。氾濫の恐怖。勢いよくモリモリ出し続けた結果、バベルの塔みたいに盛り上がって、そのまま肛門にゲット・バック――なんてことになった日にゃ、ゴールデン・スランバーからのジ・エンド(意味不明)。
 危険すぎるよ。
 とにかく、いろいろと気が気じゃないのである。
 それもこれもだ。すべては、くだんの事情なのである。――そう。つまり肛門というもんが自分の身体のパーツという切っても切れない存在のくせして、まったくの死角に存在していることに原因があるに違いないんだ。どういうことかというと、冒頭の話の通り、要は、アナタ(穴他)との面識が薄すぎて、いつまでたってもアヌス方面に対する警戒心が拭えないイン・マイ・ハート。
 たとえばもし人間の身体のつくりとして、肛門が最初からヘソの位置だったなら。常に視界にあるわけだから、排尿ほどにはもう少し便そのものに対しても、その作業に対しても面識ならぬ免疫があって、ここまで嫌悪することも警戒することもなかったんじゃないかと思うの(真顔)。
 採便だってソーセージの腸詰めみたいなスタイルでさ、ブニュ〜っと直でケーシング的な何かに詰めて、等間隔に捻って、パッキンして、そのまま提出一丁上がり! と、さぞこなれたもんになっていたに違いないと思うんだ(真顔)。
 “知らぬ仏より馴染みの鬼” なんて言葉もあるが、それがいいことか悪いことはさておき「なれる」という状態がいかに人の精神、ひいてはその在り方を左右するか。
 以前、故・中村勘三郎が「型破りってのは、しっかり型を身につけたヤツがそれを破ることで意味をもつんだよ!」と “型” の大切さを説いてらっしゃったが、これに相通じる話というか、つまり “なれる・なじむ” というある種の型が人に幾許の合理をもたらしているか、ということであろう。
 無論、なじみ過ぎればそれは警戒心が薄れることで、それによって足をすくわれるというのが人の常でもあるが、ボクのように元より足元が不安定な人間にあっては、やはりある程度補整された “路(みち)” は大切である。なんせ、いちいちうるさいですから。ここまで文読んでもらった人ならわかると思いますけど。
 と、まぁ〜そんなこんな、ボクにとっては道無き道を歩かされるが如く気を揉み散らかす便検査なわけだが、しかしコレ、便相手にしどろもどろする都度浮かぶ瑣末な疑問としては、他の皆さんにあってはいったいどのような塩梅でこの難事と向き合っているのか、ということ。
 人と健診周りの話をすれど「体重増えててツラ〜」とか「バリウムしんどいよねぇ〜」とか「閉所恐怖症だからMRI耐えられん」とか「看護婦かわいすぎて心電図で乳首晒すの恥ずかピー」みたいな声こそ聞こえど、便検査のことについてヒーヒー言うとるヤツをみたことがない。
 シモの話だから、みんな気を遣ってるのか?
 だとすれば、それもボクがこの作業にいちいち馴染めない一要因なのである。“見慣れる” 同様、“耳慣れる” という言葉もあるが、見聞を広めることによって馴染んでくることもある。ということで、軽く事情聴取に乗り出してみた。

 【フリーライター・Nさんの供述】
 「便検査ですか? やったことありますよ」
 「どうやってって...... いや、普通にです」
 「便してピュって採って。え、違うんですか?」
 いや、違かないけどさ...... あんた、ほんとにライターか? であった。
 ざっくり省察すぎるよ。何? 感情どっかで落としてもうたんか?
 仕事関係の人なので正直踏み込んだことは言えなかったし聞けなかったのだが、Nさん曰く、
 「確かにめんどくさいとは思いますけど、そんなこと気にしたことないなぁ〜」

 【印刷会社勤務・Sの供述】
 「便の採り方? 便座に前気味に座って、フロント部分にして採ってるけど」
 定番のやり方ね。それはわかる。そうやって採りなさいってキットの説明書にも書いてあるんだから。
 食い下がって、ボクは例の疑念をSに投げ掛けてみた。
 「でもさ、そこで思い切って便すると、モリモリモリモリー! って、便が一気に出て氾濫しそうじゃん? 怖くない?」
 すると、S。
 「ちょっとだけ出せばいいのよ」
 え?
 「出す量ちょっとだけにすれば大丈夫」
 何、その調節機能!?
 便って、肛門からスタート切ったら新幹線みたいにノンストップで一気にいくもんじゃないの!? そんな、新横浜でのぞみに乗って小田原で停まるみたいなこと、JR東海の許可なく可能なワケ!?(意味不明)
 否、オレは無理よ! そういうシステムになってないというか、ダイヤ通り、少なくとも名古屋までは停まれない。一連の流れで一気に出ちゃいますもの。
 「いやいや、肛門で切ればいいのよ」
 理路整然と言うな。
 こわいわぁ。 何? 肛門で切るって。じゃあもういっそそこで野菜も切って、今夜鍋にでもするかぁ!?
 Sとは20年来の友人だが、いやはや掘っていくとまだまだ出てくるもんですなぁ。ってか、何埋まってるかわかりませんよ、ほんとに。

 【飲食店勤務・K子の供述】
 「私、仕事上毎月検便提出しないといけないから、もうね、全然慣れっこ」
 プロがいた。
 いやぁ、やはりどの道にもいるもんですな、プロは。
 そして、そのプロが語る採便方法というのがもう看板に偽り無しというか、プロ中のプロ、というかグロな大スペクタクル。
 「出てきた便をトイレットペーパーでとって、ちぎって、それをそのまま採便する」
 待て待て待て!!! あなた、今、スゴいこと言うてる!!
 え、何!? トイレットペーパーで? キャッチするの!? 出てきたヤツを!!? ちぎる!!!?
 腹の括り方、えぐない!?!?
 無頓着のアイコンたるあのDr.スランプのアラレちゃんですらウンコは棒で運ぶというのに、あなたは手 feat.TP(トイレットペーパー)ってがぁ!!?
 タフネス。
 なんかもうスゴいわ。こういう超人を前にすると、グチグチ言ってる自分が何だか殊更ちっぽけに思えてくる。そして、何より数人とはいえ聴取をとっていて思ったことなのだが、便検査云々、そんなことをいちいち気にしているのはひょっとして自分だけなんじゃないだろうか、というリアルね。
 話を聞くかぎり、皆さん口を揃えてモウマンタイ(無問題)。適宜順応してらっしゃるわけで、何だか疎外感。ノーウェア・マン。キャスト・アウェイ。太平洋ひとりぼっち。世界がなんだかとっても余所余所しいロンリネス。
 どんなに慣れ親しんでも距離ができればリセットされる――それはたとえば夏休みにだけ会う親戚の子供同士の交流 & 再会なんかにも見て取れるように、これを機にふつふつと醸成されるボクのなかの人生そのものに対する人見知り気分。
 “人は大人になるたび弱くなるよね  ふっと自信を失くして迷ってしまう”(浅香唯)
 そんな物思いが祟ったのか。いや、その因果関係は正直不明ではあるが、この夏、ボクは過度のストレスという診断で過敏性腸症候群になってしまうというね。
 これぞ、海老で鯛を釣る。
 やめさしてもらうわ。


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