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		      『愛と哀しみの果て』
 
  
		  
		   イラストレーターとしての仕事を始めたばかりの頃。 
		   実力もなく、肩の力だけが無駄に入りまくっていたボクは、せめてものやる気とサービス精神のつもりで、仕事をもらえば一つのネタに何パターンも案を出しては悦に入るという、少々ズレた満足感を得ていたものだが、その都度先方のリアクションはといえば、皆さん口を揃えてこうなのであった。 
		   「こんなにたくさんあげていただいて助かります」  
		   一見お力になれてるかなと、錯覚を覚えるセンテンスではある。が、人間そんなにシンプルじゃない。 
		   体裁を重要視するこの社会にあってボクもそこまでマヌケではないわけで、声の微妙なトーンやメールの雰囲気、対面時のあのメガネドラッグの店頭に設置されたお人形さんのような表情から慮るに、その言葉の裏を正しく翻訳するとおおよそこうおっしゃっているのだと解釈した。 
		   「おんどりゃ、毎度毎度あげすぎなんじゃボケぇ! こちとら正味の話、忙しいねん!! 暇ちゃいまんねん! ある程度絞ってもらわな、かなんでほんま!! 頼むでしかし!」 
		   要するに、手間だっちゅーお話。 
		   “下手な鉄砲数打ちゃ当たる” なんて言葉もあったりするが、何でもかんでも数こなしゃいいというわけではないということですな。 
		   これは何事においても等しくいえることで、何かを “しすぎる” ということに我々はよ〜く注意しなければいけない。 
		   “過ぎたるは猶及ばざるが如し” 
		   現代を生きていくうえで重要なのは “塩梅” なのである。 
		   とはいえ、理解と行動は必ずしもリンクしないもので、そういう世知を心得ていたとて匙加減が利くわけでもなく、またいい頃合いなんてものも結果論でしか語り得ぬものであるからして、やはり人生は難しいし、世知辛いし、もどかしいし、後悔するものなのである。 
		   で、これは一昨年の話。 
		   ボクもつくづく人間的と申しましょうか、我ながら呆れ返るところではございまして、例に倣うように “ある行為” をしすぎて痛い目にあってしまったのであった。 
		   その行為というのが、このような公共の環境で直截に表記していいものかどうか、なかなか際どい行為でありまして、ここはひとつ言葉のチョイスに十分な配慮を施しつつ話を進めさせていただこうと思うわけだが、なにぶん語彙に乏しいゆえ、多少回りくどい言い回しになってしまうことを先にお断りしておこう。 
		   オナニーである。 
		   季節は秋だった。冷たくなった風が当時いろいろあってすっかり弱りきっていたボクのハートを凍らせていた。 
		   無意味な人生。詭弁だらけの世の中。醜悪で陋劣な人間という名の地球のゴミ。そんなゴミの中でもクズでカスの自分。救いのないこの世界。 
		   フェリーニの『甘い生活』のラストのように、もう自分には純真無垢な言葉は聞こえない。暗闇。絶望。虚無。 
		   静かで暗い海の底。自分の周りをシーラカンスが旋回する中、耳につけたイヤホンからしおりんの歌声が虚しく耳に木霊する。 
		   “ガラスの雨が降る  夢を奪うくらいに  思い出まで鍵をかけて  誰にもわからない  痛み抱きしめる街  ひとりだけで  壊れてゆくよ  涙目のままで” 
		   ナルシシズムなんていう聞こえのいいものではなく、単に暇だったっちゅーだけの話なのかもしれないが、とにかくあの時のボクはブルーだった。 
		   誰にも会いたくない。どこにも行きたくない。何もする気がおきない。誰もが時にすっぽり落ちる人生の落とし穴で自分がわからなくなっていくなか、酒もたばこも女もからっきしのボクの手元に残った棒はただ一本。 
		   『スターダスト・メモリー』でウディ・アレン演じるサンディは言った。 
		   “人生で管理できるのはマスターベーションだけ” 
		   そう。あの時のボクはもうしゃかりきコロンブス。 
		   そして、何かを埋めるように、すがるように、なくすように、ただひたすらにマスをかき続けたボクを待ち受けていた悲劇はある日突然訪れたのである。 
		   キャンタマが痛い。 
		   このセンテンスからは微塵も迫真性が読み取れないかもしれないが、シャレでもなければ、ギャグにもならない。何せ場所が場所である。『キャプテン・フィリップス』で海賊に自分の船を襲われた時、船員に無線で連絡するトム・ハンクス風に言えば、「これは訓練ではない! 本番である!!」といった緊迫した事態がボクの中のソマリア沖で起こっていた。(意味不明) 
		   落ち着け! こういう時こそクールにならなければいけない。ボクは痛みの和らぐ体勢を模索しながら、脳味噌をフルスロットル。 
		   とりあえずヤク(薬)だ! 
		   タマに効く薬が何なのか、当然聞いたことも見たこともないが、ボクは家の救急箱を弄った。......が、そこに入っていたブツはラッパのマークの箱一つ。 
		   これは違うだろ!? 
		   言うまでもない。 
		   じゃあ、冷やすか!? 冷やしてアイスの実にするか!? 
		   そんな冗談言うとる場合でもない。 
		   唐揚げの下味つける時みたいにモミモミとマッサージしてみるっちゅーのはどうだ! 
		   こうやって、モミモ...... って、ちょっ、これ、なんか、怖っっ!! 潰しちゃったら元も子もあらへん! 
		   と、まぁ〜要するに完全に取り乱していたわけだが、一人ジタバタ悶え苦しみながらも苦心の末に、 “枕を股に挟んで身体を横にすると和らぐ” という謎の緩和措置を編み出すと、とりあえずその体勢でその日は安静を保つことに成功した。 
		   翌日。 “寝たら治る” と高を括っていたのだが、そうは問屋が卸さなかった。まるで田中マー君(ヤンキース)にスプリットの形でおもっくそ握られてるような圧痛(握られた事ないけど)が、その日もタマを掌握していた。その翌日も、そのまた翌日も、痛みや違和感は持続。そして、一週間たっても一向に治まらないその症状に、いよいよ恐怖を覚えたボクはついに震える腰をあげ、人生初・泌尿器科医院の門を叩くに至ったのであった。 
		   吉祥寺のひっそりとした場所にある外観もどこか密めいた佇まいのその医院におずおずと入っていくと、そこはもう男の花園。ションベンのキレの悪そうなおじいちゃんやら、性欲の強そうなおっさんらが狭い待合室でひしめきあって、渋味を擦り合わせていた。 
		   受付で渡された紙コップにお小水を取り、提出し、ボクも若輩者ながらそこに肩を並べさせていただく。なんだか大人になった気分。と、よくわからない感慨に耽りながら待つこと数十分。名前が呼ばれ、いよいよ診察室へと足を踏み入れた。 
		   「今日はどうされましたか?」 
		   夏目漱石を頼りな〜くした感じの先生がボクに尋ねる。 
		   「キャンタマが痛むんです」 
		   「キャンタマとおっしゃると、ここ? それともここらへん? もしくはこっち方面?」 
		   机の上にある男性器の断面模型をあちこち指差しながら痛みポイントを尋問してくる先生。 
		   具体的に尋ねられてはたと気付いたのだが、正直キャンタマのどこが痛いのかちょっとわかりかねる自分がいた。 
		   「......そうですか。では、パンツを下ろしてそこに寝て下さい」 
		   ドキッ! 
		   うっすらそんな予感はしていたが、触診の展開。 
		   当然病院で下半身をさらすなんぞ初めてのことだ。パンツを下ろせと言われ、ボクは思った。 
		   どこまで? 
		   タマが出る程度か、はたまた足首ぐらいまでか、または全部脱いで畳んで診察台の上で三つ指ついてお待ちするか。どれだ!? 
		   「あ、膝ぐらいまででいいですからね」 
		   一瞬の逡巡を察したのか、まるで心の声に応えるかのように先生が即座に諭す。 
		   ボクは年甲斐もなくちょっぴり照れながら、それでいて大胆にパンツを膝まで下ろすと、診察台のうえに仰向けになり、両手で顔を覆って先生をウェイト。 
		   そして手袋を装着した先生が矢庭にボクの股間を弄ると、痛むポイントを探るようにあっちこっちを押したり、掴んだり、揺らしたり、突っ込んだり、ねじ回したり、ファブリーズしたり......以下略。 
		   「ここ痛む? ここは? これは?」 
		   「痛...... くはないですね。あっ...... そうでもないか...... ん? いや、なんでもないです」 
		   不思議なことにどこをどうされても痛みが走るような感覚がない。すると、今度は先程受付で提出した尿を顕微鏡で調べ始める先生。下半身全開でステイするボク。不安そうに項垂れる愚息。 
		   そして、一瞬の静寂が診察室を包むとドクターがこの嘆声。 
		   「うーん......」 
		   医者の「うーん......」ほど不安を煽るものはないわけだが、ボクは意を決して先生に聞いた。 
		   「わ、悪い病気か何かですか?」 
		   先生が神妙な面持ちでこちらを振り返った。 
		   そして戦々兢々とするボクの顔を見据えると、一拍おいて真顔で応えたのである。 
		   「気に...... しすぎでは?」 
		   気にしすぎ!!? 
		   未だかつてこんなにも情けない診断を下されたことがあっただろうか。 
		   「なんともなってませんよ。尿もキレイだし。前立腺の腫れもない。しこりもない。大丈夫」 
		   いや、大丈夫ったって...... あんた、おい、こら! 1000円札顔! 
		   じゃあ、この痛みはなんなんだ!! 
		   釈然としないので詰問ぎみに食いかかろうとパンツをあげるボクに、先生が続けて言う。 
		   「最近、射精するような行為は? 射精のしすぎでそういう痛みが起こったりもしますのでね。ええ」 
		   射精の...... しすぎ!!!? 
		   パッカ〜ン!! バットの真芯! ボールが伸びる...... 伸びる...... 伸びる...... 場外ホ〜ムラ〜ン! プロ入り初の大アーチに驚きながらダイヤモンドを廻るボクに “図星” という名の惑星が直撃した。 
		   とどのつまりが、過酷労働に工場の従業員が悲鳴をあげて、ストを起こしていたと。そういうことだった。 
		   「え、えっと、そうしますと...... 治療としては......」 
		   訥々と訪ねると、先生が冷ややかな口調でバッサリ。 
		   「ほっとけばおさまります」 
		   鎧袖一触。薬も何もナッシングで、ボクはすごすごと病院を後にしたのであった。 
		   結局症状のほうはというと、事実おっしゃるとおり、しばらく控えると嘘のように痛みや不快感はなくなった。 
		   現金なヤツならぬ、現“金のタマ”といったところか。 
		   ともあれ、 “オナニーのしすぎ” からの、 “気にしすぎ” という、ダメすぎる “しすぎ” コンボに、ほとほと自分が情けなくなったものの、事なきを得てひとまずは胸を撫で下ろした。 
		   “これからは一日一回にしよう” 
		   一日一善っぽく、心に誓った。 
		   かくして再び平穏な日々を取り戻したわけであったが、それから間もない翌年の春先。 
		   その平穏は早々と揺るがされることとなる。 
		   そう。事態は想像だにもしないまさかのセカンドシーズンへと展開していくのであった......。(つづく)
 
  
		  
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