『そはかくのごとし』


 “備えあれば憂いなし” という言葉がある。
 ご存知の通り、「準備が整っていればいざという時でも心配ない」といった意味の格言なのだが、これは果たしてどうだろう。
 かの坂口安吾さんが税金不払い闘争を起こした際、税務署の連中に何を質問されても全て返答出来るようノート何冊分にも渡ってありとあらゆる質問の予習をしたが、いざ税務職員に質問されてみたらばドアタマから考えもしなかった質問をされて呆然とした、というエピソードが確か吉行淳之介さんの本か何かに書かれてあって個人的にとても得心したのだが、要するにどんなに備えたところでどうしようもないということもやはりある。
 なんなら、備えた分だけ余計に憂うようなところもあるわけだから、結局のところ、物は言いよう。理屈と膏薬はどこへでもつくといった感じで、言葉というものがいかにご都合主義的に使われているモノなのかがよくわかる。
 同じように言葉というものには対義語という体のものがあって、これにも人間のデタラメさを象徴するような側面が垣間見れる。
 例えば、上にあげた “備えあれば憂いなし” という言葉で考えてみれば、“失敗は成功のもと” だとか、“しくじるは稽古のため” みたいな、どちらかというと「憂い」の部分を良しとするような言葉もあったりして、大袈裟にいえばどんな状況にも当てはまる言葉が用意されているようで実に滑稽というか、アイロニカルに考えるに人間が学ぶための土壌なんぞどこにもないような気がして、白々とした気持ちになる。
 まぁ、全体で考えれば基本的に人間は同じところをグルグル回るほかない生き物らしいので、学ぶといってもせいぜいその輪っかを大小させる程度の意味でしかないのだろうが、そもそも人は忘れる名人であるからして、“憂えたことすら忘れる” といったような無惨さも日常茶飯事であり、自分たちを慰めるための言葉ですら置いてけぼりにするような日々を誰もが淡々と過ごしているというのが実際のところなのだろう。
 回りくどい言い方をしているが、要するに人は斯くも愚かであるというお話である。
 そんな愚かな人間の中でも優等生であるボクがその本領を発揮して大学時代に親のすねをシャブり倒してマイカーを所持していたというのは前回記述の通りだが、車を巡ってはあの時分にはこんな出来事もあったので、ついでながらご紹介させていただきたい。
 あれは確か夏の出来事だったか。その日、大学の同級であるサワKという極悪人と、学校にも行かず彼の自宅近辺のローソン前にボクの車を停車して、車内で “マジックマッシュルームはオムレツとスープでどちらがグ〜か” という緊急ミーティングを開いていたのだが、そこへだ。出し抜けに嵐が訪れた。
 バン、バン、バン!!
 何者かがボクの車の窓を外側から叩くのである。
 サツか!?
 ミーティングの片手間に車内で調合していたベビースターラーメンのしお味とカレー味とみそ味を慌ててダッシュボードに隠しながら、音がする後方に気を配るボクとサワK。そして、おもむろに振り返ればヤツはいた。
 ギャルである。
 もう “ギャル” という言葉以外に形容しようのない一人の派手な女性、もといOH!ギャル(ジュリー)がボクの車の窓を連打しているではないか。
 車の窓を開けて何事か伺うとギャルはボクらに向かって言うのであった。
 「助けて下さい!!」
 ボクとサワKは、トンデモ展開におもわず顔を見合わせた。
 慌てた様子の彼女はただならぬ気配を漂わせながら声を荒らげ続けて言った。
 「追われてるんですっ!!!!」
 追わ...... ぉWHAT!!?
 おいおい、マジか!? である。
 こんなやっすいドラマみたいなことあんのかよ!? である。
 事実は小説よりも奇なり、ってがぁ?! である。
 はっきりいってドキドキした。
 度肝抜かれつつ、サワKのリアクションが気になったので彼の様子を確認してみたらば、この男はこの男で “奇なり” なことに、何やらもうすっかり恍惚の表情。
 いや、落ち着きなさいて!!
 差し詰め、脳内で映画の主人公にでもなっているのだろう。このエロ狸は!
 サワKのスケベ根性っぷりを目の当たりにし一気に我に返ったボクは、この状況をどこか訝しむと、浮つく様子のサワKを白眼視しつつ、彼女に向かってキッパリと言った。
 「早く...... 乗りなさい!!!!」(満面のエロ顔で)
 彼女を車に乗せ、とりあえず適当に車を走らせながら事情を問うと、目に悲しい影をよぎらせた彼女が改めて自身の状況をこう説明する。
 「追われてて」
 いや、それは聞いたの。さっき。
 ところが、この女。その後何を話しかけても、“誰かに追われてる”、”ありがとうございます”、“ホント助かりました” の三点張り。
 なんなんだ一体......。壊れたペッパー君みたいで些か怖くなったが、それでもヒーロー気分が勝っちゃってる “カンチGUY(勘違い)” なボクら二人はどこ吹く風とフェミニスト。
 「あ、冷房寒くないですか?」
 「好きなところ言ってね。そこまで乗せてってあげるから」
 「お役に立てたなら良かったよねぇ、サワK」
 「ね。逆に車がこんなボロで申し訳ないってなもんで」
 「あっ、コラ! お前がそれを言うかぁ〜!」
 「アハハハハハ〜〜〜!」
 「あ、ベビースターラーメン(MIX)食べますぅ?」
 そして、訳の分からぬままお願いされたポイントまで車で送ってあげると、彼女は礼を言ってそのままさっさと去っていってしまったのだが、去り行く彼女の後ろ姿を見つめながらボクとサワKが二人揃ってこうユニゾンしたのは言うまでもない。
 「なんだったんだ......」
 実際わからずじまいというのがこの話のオチで、あのギャルが一体何に追われていたのか、その謎はもはや永遠に藪の中だが、しかしまぁ、何でもかんでも明らかになるよりはこっちのほうが想像の潤沢は保たれていい。追われていたのがショッカーでもホイミンでもジャン・レノでも好きなものを皆さんには想像してもらえればと思うのだが、ただ、この話のポイントはそこではなくて。
 問題は彼女がボクの車に飛び込んできた時から車に乗せて送っている間、ず〜〜〜〜〜っと車内でかけていた音楽についてだ。
 宇多田ヒカルだったのである。
 誤解のないように先に言っておくが、宇多田ヒカルは素晴らしいアーティストだ。ボクは大好きである。大好きだからこそ車内で流していたわけで、彼女をボクは全面的に認めている。したがってこれは決して彼女の音楽性を否定するような意味を含まない。
 しかし、いかんせんあの頃の宇多田ときたら、ちょ〜ど『First Love』というナイスなアルバムを出した直後でどうかと思うぐらいバカ売れしていて、はっきり言ってナウすぎた。
 たまごっちが流行っている時にたまごっちを自慢げにやってるような、あまちゃんがブームになってるときにいちいち「じぇじぇじぇ」と言う人みたいな、その同列の宇多田ヒカル “なう” なオレで、要するに宇多田をかけていたことがムチャクチャ恥ずかしかったのである。
 チャランポランに生きていたゆえ、好きなものを堂々と好きと主張出来るほどの信念もモノに対する敬意も愛情もなく、ギャルを前に “ナウすぎるオレ” になっていることがただただ恥ずかしく。かといってそこで急に音楽を止めたり変えたりというのも逆に違うというか、何か勘繰られそうでそれも出来ず。そんでまた、宇多田は宇多田でもアルバムをそのままダビングしたMD(車内オーディオはMD式だった)を流してるんならまだマシなところを、これが “宇多田マイベスト” 的なヤツだったもんだから尚のこと恥ずかしく。挙げ句の果てが、マイベストと謳いつつその選曲はただのシングル集っていうね。
 おそらくギャルはそんなこと微塵も気にしていないだろう。むしろ宇多田のファンで、その足元ではリズムを刻んでいたやもしれん。が、これはやはり極めて個人的なナルシシズムと自己嫌悪で、流行に対する反発心を持ちながら、その実、流行りモノを抑えてるというそういう首尾一貫しない自分を晒している感じがとにかく居た堪れず、慙愧に絶えず......。
 案の定彼女を降ろしたあと、普段メロコアやスカコアしか聴かないサワKがそんなボクにとどめをさすが如くボソリと、この一連の出来事を一言でまとめるのであった。
 「宇多田て......」
 やめて!!!!
 この日を境にボクは備えることにした。
 車内には聴きもしなくせに洋楽のMDをそれとな〜く常備し、いつ誰を突然車に乗せるかもわからないから、車を降りるときにはオーディオのMDを必ずオアシスとかブラーとか何かその辺のMDに入れ替えておいて下車するとか。今にすればこの備え方すらも浅薄極まりなかったのだが、とにかく無知で軽薄なボクはそういう備えをもって憂いをなくそうと心掛けるようになったのだった。
 そして時を経て、今。これはつい数ヶ月前のことになるのだが、憂いは違う形で繰り返された。
 フリーとして活動を始めて以来、ボクの仕事スタイルといえば外作業主義で、もっぱらカフェ(チェーン系)で肩身を狭〜くしながら出来るだけ迷惑が懸からないようにヒッソリとやるという感じなのだが、その日いつものように行きつけのカフェで仕事をしたあと家に帰ると、あるモノがなくなっていることに気が付いた。
 iPodである。iPodがない。
 さっきまでお店で曲を聴きながら作業していたので、確実にこの短時間のうちになくしたことで間違いない。
 道に「落とした」は、ないだろう。オレに限ってそれはない。大体ボクが使ってるiPodは160GBのClassicというなかなかの物体であるからして、さすがに落とせば気が付く。寄り道もしていないわけで、したがって結論はもはや一つしかなかった。
 お店に忘れてきたのだ。確実に。ソファ側の席に座った時にたま〜にポケットからこぼれ落ちて忘れちゃいそうになることがあるのだが、おそらくあのパターン。
 ボクはダッシュで店に向かった。
 店に着き、まず先程座ってた席を確認してみたがiPodはどこにもない。となると、パクられたか店員さんが預かってるかになってくるのだが、間の悪いことにその店のこの日のバイトはボクが(勝手に)目をかけているお気に入りの女のココンビ。参った。ドキドキして話しかけるのもためらわれる。しかし、さすがにモノがモノだ。NO MUSIC, NO LIFEなボクにとっては一刻も早い回収が求められる。対人恐怖症のケがあるので猛烈な勇気を要したが、何とか割り切って、意を決し、ボクは店員さんにiPodの忘れ物がなかったか消え入りそうな声で尋ねた。
 「こちらでしょうか?」
 あった。オレのiPod。良かった。
 顔面はもう真っ赤っ赤であったが、ボクはあくまで冷静に、且つやや気取りながら、それでいて “毎日毎日店に来ている私ですが、怪しいものではありません” 的なジェントルを醸し出しつつ、彼女にお礼を言い、何とか店を脱出。
 店を出たタイミングでもう汗がやばくて風呂上がりみたいになっていたのだが、受け取った自分のiPodを確認して、また違う汗が大量に出て一気に風呂に入ってるみたいな状態になった。
 というのも、ボクの所持するiPod Classicにはスライド式の「ロック(Lock)」のスイッチがついていて、そこが “ON” になっていればiPodは反応しない状態になるのだが、店員さんから返してもらったiPodをすかさず確認したらばそのロックがまさかの “OFF” になっていたのである。
 どういうことかというと、この状態だと何かのボタンに触れただけでディスプレイが勝手に反応して直前の状態が表示されてしまうのだ。
 嫌な予感がした。予感がしたというか、直前まで曲を聴いていてそれが何の曲だったか覚えていたもんだから一気に血の気が引いた。
 おそるおそるそのままボタンに触れディスプレイを点灯させると、案の定、そこに再生中だったその曲名は表示されたのであった。
 『ザ☆ピ〜ス! / モーニング娘。』
 ガッデム!!!!
 いや、曲はいいのよ! この曲が名曲かというと『I WISH』ほどではないのだが、さておき、これを聴いていること自体に学生時代のあの頃のようなブレも恥ずかしさもないし、お気に入りの一曲であることには間違いないのだが、ただ、もし例のバイトの彼女がこの情報を手違いなり何なりで見てしまっていたとしたならばだ。オレはきっとあの店で、いや少なくとも彼女の中でこういう位置づけの客になってしまいかねないのである。
 “モーニング娘。の人”
 “ザ☆ピ〜スおじさん”
 “妖怪懐メロじじぃ”
 “あのキモい人”
 人知れず作業するためにただの客でいたいボクからすれば、いらん属性がついてしまうのはこれは不本意であり、困る。
 無論、自意識過剰なのである。それは百も承知だ。実際、店員は何とも思っていまい。というか、客の忘れ物を勝手にイジるはずもない。そんなことはわかっている。
 だが、自分が似たようなチェーンのカフェで大学時代バイトしていた時に、あらゆる常連客に裏で失礼極まりないあだ名をつけていたという経験があるもんだから、可能性の部分でそういう自意識過剰的発想をスルーしきれないのである。そういう風に思い込まないと遣りきれないというか、バランスが取れないのである。
 つまり、話をまとめるとこういうことになるのであった。
 “もうしばらくあの店にはいけない”
 気にせず行けばいいなんてお思いでしょうが、それは所詮他人の言い分だ。気にしちゃうの、オレは。アポロはそういうヤツ。
 要するに状況は違えど、失敗の系統としては前述の “宇多田事変” と同じものであり、すなわち、相手に知られて不具合なことなら備えるべしという反省及び応用をボクは怠ったというわけで、やはり人間そう簡単には学ばない。
 人生が複雑なせいか、はたまた、人間が忘れん坊で馬鹿なせいか...。原因を探ったところでそこに意味があるとも思えないが、一連の話で確認出来ることはこの一点。
 人は言葉を超越し、そんな人を現実は超越するということである。


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