『ラ・ラ・ライブ』


 もはや大分古い話題になるが、映画館にて『ラ・ラ・ランド』を観たときの話。観賞後、劇場を出ようと席を立つと、近くを移動していたおそらく大学生であろうカップルの男が彼女に対してこんな風に映画の感想を述べているのを耳に挟んだ。
 「ま、現実ってこんなもんだからね」
 ラストシーンについての言及だろうが、その口調は完全C調。表情は窺えなかったが、コイツ絶対ドヤ顔してんな、と。軽く人生60年は生きてきたような口振りだった。それに対して彼女はというと、「ふぇ〜ん、そんなの嫌らぁ〜!」と、完全に頭のネジが外れちゃってる素振り。うしろゆびさされ組の『象さんのすきゃんてぃ』がどこからともなく聴こえてきそうなそのノリにこちらもついつい失笑しそうになったのだが、さて置き、発言から察して彼氏クンはあのラストシーン(映画観てない人は適当に想像して下さい)をおそらく厳しい現実と捉えたうえで「こんなもん」扱いしているご様子であったが、しかしどうだろう。映画の見方はともかくとしてだ。あれを一方的に厳しい現実と受け取るのはこれ如何に。
 以前にも触れた気がするが、現実はいつだってボクらの想像を良くも悪くも超えてくる。どういうことかというと、『ラ・ラ・ランド』のラストシーンのような再会があるだけ人生ドラマチックというもんで、実際は同じ街に住んでようが住んでいまいが、別れた相手と二度と会うことなんてないというのが、ある種冷淡で、且つもっとシビアな現実とみる向きもあるわけだ。まぁ、携帯やスマホやSNSが普及した今となっては、この言い分も多少無理があるかもしれないが、こと恋愛に関していえば、“やり直したい” という目的以外で別れた相手といつまでもダラダラ繋がりを持とうとするような煮え切らない人達のことを度外視すれば、事実、そういう見方もあるわけである。再会もなく、互いのことを忘れ、淡々と日々を過ごして死んでいく。そんなもん。いや、これも事によってはむしろハッピーに現実が転がってるということなのかもしれない。とにかく、現実を一面的にこんなもんだと決めつけるのは、あまりに安直、あまりに無分別、あまりに非常識。現実は人知を超える。人間が手の内にいれようったって、そうはいかないのである。
 かく言うボクにしたって、先だって不意に嫌な現実に直面したばかりでして。というのも、何を隠そう2017年である今年、まさかの家の(契約)更新年だということを思い出してしまったSuddenly。ヤバい。キツい。金がなくなる。いや、それはいい。そんなことよりも、部屋の隅でカーペットの毛をムシってる隙にまた2年が過ぎたという現実にゲンナリしたのだが、それを機としてだ。はたと別の更なる事実にも気が付いてしまったのだった。
 神戸から東京にやってきて丸10年が過ぎていたという事実。
 10年である。10年といったら、生まれた子も10歳だし、生まれた犬も10歳だし、こち亀の日暮さん(4年に1回起きる人)もタイミング次第では3回も起きてることになる。10年かぁ...... ってなもんである。10年も時間があれば、ちったぁマシな人間になると思っていたが、成長するどころか現状自分のことをコントロールすることも儘ならなくなっているのだから、現実は相も変わらず冷酷だ。ウンザリするね、まったく。
 ボクはナルシシストで、センチメンタリストで、ロマンチストで、懐古主義者の女々しい愚人なので、みっともないとは思いつつ平然と過去を振り返るが、思い返せば10年半以上も前になるか。上京を決意したのは。ボクは思い立ったが吉日で、当時勤めていた会社をスッパリ辞め、勢いそのままに東京へとやってきたのだった。25歳であった。
 今となっては不思議で仕方ないというか、よくもまぁ〜そんな決断をして行動に移したもんだな、と我ながら驚きを禁じ得ないのだが、とにかく他の俗人同様、バカな夢をみて、軽薄な志をもって東京の引力に引き寄せられ、そして、今尚この狂気の中にいる。
 きっかけは、一番親しい友人が東京に住みながら漫画家を志し、その努力の果て、実際に漫画で大きな賞を獲ったことにあった。本人にとって大事件だったろうが、これはボクにとっても衝撃的な出来事で、彼の朗報に友人として当然感動したし、歓喜したのだが、同時にその衝撃は遠く離れた地で沈香も焚かず屁もひらずシコシコとサラリーをもらい続けていたボクのあらゆる感情を引き起こし、ボクを大いに揺さぶった。つまり、比較してしまったのだった。情けない話、分不相応にも自分の生活を味気無いものと感じてしまったのである。『スウィート17モンスター』で、親友の状況がみるみる拓けていく雰囲気に焦燥するヘイリー・スタインフェルドのような気分というか、何かこう “置いていかれる” ような感覚がボクの心を支配し、尻に火がついた。ボクは矢も盾もたまらず上京を決めたのであった。
 当時、ボクには付き合っていた彼女がいた。そのコと結婚の話なんかもしたりしていたのだが、まさに無情の方向転換というか、彼女のいろんな気持ちを無下にし、身勝手に上京の旨を告げたことは振り返ると苦々しい思い出だ。
 思いやりが無かった。自分勝手で、自己中心的で、欺瞞的で、己惚れていて。きっとボクの本質なのだろうが、そんなボクの本質に彼女は気付いていたし、そんなボクの本質に気付く彼女の不信をどこか楯にするように自分の意思を肯定していた当時の自分というのがまた何にも増して疎ましく......。とにかく、自分の中で割り切ってやったことではあったが、思えば、新田君ばりの強引なドリブルで、いろいろな事を一方的に振り切って東京にやってきたものであったなと、自分の傍若無人ぶりを思い出す。もちろん、ブレるのが一番迷惑だと思ったし、選択の余地もなかったので別に後悔はしていないが、まぁ、こうやって改めて振り返ると、会社はともかく、特にその彼女に関していえば主観的には随分酷なことをしたような...... そんな感触ばかりが蘇ってくる。
 これは確か上京を心に決め、彼女にどう伝えようか考えていた時だったか。休日、何となしに二人でカラオケに行った際に、さりげなく彼女が歌った曲にハッとさせられたことがあった。
 それは、竹中絵里の『サヨナラ サヨナラ』という曲だったのだが、その切実な歌詞の内容に、勝手に彼女の気持ちを重ねてしまって、途端、胸が詰まったというか、何か見透かされたような気がして肝を冷やしたというか。とにかくあの頃、漠然とではあるが “サヨナラ サヨナラ” な空気が自分から溢れていたことは間違いなく、それをハッキリ実感させられたと同時に、おそらくその空気を彼女が感じ取っていたであろうことを直感した。そして、機を見て上京の意思を伝えると、ボクはそのタイミングで彼女に別れを切り出したのであった。上京して自分がどうなるのかもわからなかったし、キッパリここで別れたほうがお互いのため...... あの時はそう思ってそうしたが、今にして思えばそれらが欺瞞で保身であったことは明々白々で。彼女との関係でアレコレ思い悩んだり、自己嫌悪に陥ったりと、単純に自分がしんどくなるのがイヤだったのだろう。ゴチャゴチャして面倒だとか、どこかでラクになりたかったに違いない。そして、それもきっと彼女に伝わっていた。
 これは言い逃れのためではなくむしろ自分への戒めとしてなのだが、ボクは恋愛や愛情関係のもつれやいざこざ、その末の破綻は、例えどんなに一方が悪かったとしても、その責任は根本の部分では50:50だと思っているタイプの人間であるが、しかし、それと自分のやったことに対する事実とは別問題であるからして、やはり振り返れば振り返るほど目につく自分の身勝手さには、憤懣措く能わず。気落ちすること夥しく、具合が悪くなることしきり。何もこの頃の自分に限った話でもないのだが、要は独善的でエゴイスティックで未成熟。とにかく、引かれる後ろ髪すらバッサリ切り落とすような態度で上京を貫いたことは、あの頃東京に来るにあたって希望と同じだけ携えていた負い目の一つでもあった。(もっといえば、この負い目すら自分を正当化するための卑怯卑劣な欺瞞、偽善、免罪符でしかなかったのであった。)
 とはいえ、結局のところその彼女とは上京直前すったもんだありながらもとりあえず関係を続けていくという結論に至り、遠距離恋愛というカタチで続いてはいたのだが、しかし、東京という街に馴染めず、人を気遣う余裕すらなくし、自分のことで一杯一杯になっていたボクに彼女との関係を続けるだけの甲斐性などあるはずもなく......。その彼女とは上京後しばらくしてやはり別れた。
 差し当たり勤めていた会社の仕事に追われ、何しにこの街にやってきたのかさえわからなくなっていた日々が続くなか、別れをきっかけにしてそこからどうにか奮起。気持ちを立て直し、時間を見つけては絵を描くことにした。それを仕事に繋げようと、会社の雇用形態を変えてもらい、とにかく所構わずガムシャラに持ち込んだ。郵送も含め100件強売り込んだあたりだったか。初めて個人としてのイラストの仕事がきた。嬉しかった。ひたすら売り込みを続け、また、仕事が仕事を呼び、気付けばボクは勤めていた会社も、生活のため掛け持ちで始めたバイトも辞め、フリーでイラストを描く人になっていた。かといって、荒稼ぎしているわけではもちろんなく、仕事量も増えたり減ったり、貯金はないし、生活はギリギリ。“これでやっていける” なんて微塵も思わなかったし思えなかったが、自分の時間を生きているような、自分の意志を取り戻したような感覚が確かに自分の中に芽生え、生活にハリを感じるようになっていった。ミスチルの『innocent world』の歌詞でいえば1番のBメロのような心境にようやくなれたというか、とにかく上京して4年目、東京という街にいる自分にようやっとリアリティを感じれるようになっていった。
 その頃にはボクも20代終盤になっていたわけだが、新しい部屋の扉がすぐそこまで近付いていることに意識が及ぶと、まさにちょうどその時分だったろう。大黒摩季の楽曲通り、近頃周りが騒がしくなっていき、結婚するとかしないとかの話がポツポツ浮上。すると、その一環、大学時代の友人が勇猛果敢に結婚を決めたということで、その式に参加するため久しぶりに関西に行くことになった。
 会場は神戸の須磨。大阪に懇意にしてくれる親戚の家があったのでそこで寝泊まりの厄介になることにしたボクは、当日は西宮に住む友人と西宮北口駅で待ち合わせ神戸方面へと向かうことに。
 で、その当日。親戚の家の最寄りである放出(はなてん)という駅から大阪駅へ。そこから阪急線に乗り換え、待ち合わせ場所である西宮北口駅へ...... という流れであったが、待ち合わせの時間よりもかなり早い時間に到着してしまいそうだったので、乗り換えるのを待って、ボクは久しぶりの大阪駅をブラブラし時間を潰すことにした。当時大阪駅はまだ大規模な改良工事の真っ只中。僅かに残る面影に思い出を重ねつつ、一人ボサ〜っと駅構内をほっつき歩いていると、その時であった。
 ふと見覚えのある人が視界に入り込んできたのに気が付いた。
 それは「ウィ〜っす! 久しぶり〜!」と、5分くらいかけてハンドシェイクするような相手じゃなかったもんですから、ビックリ動転。
 前述の別れた彼女だった。
 一瞬の出来事。“あっ......” ってなもんで、もちろんこちとらは瞬間で動揺。しかし、シレッと通過。おそらく向こうは気付いてもいなかった。というより、気付いていなかったと思いたい。
 なんせ、その別れた元彼女は『ラ・ラ・ランド』同様、おそらく現彼氏であろう男性と手を繋いで歩いていたのだから。
 “関西も狭めぇな......”
 思ったよね、実際。イッツ・ア・スモールワールド(@ディズニーランド)で狭い狭いとは叩き込まれていたけれども。
 こういうことを不意にぶっ込んでくるのだから、現実は恐ろしい。
 かといって、『ラ・ラ・ランド』のように、お互いの存在に気付き、自分以外の別の男と結婚していたエマ・ストーンと遠巻きに目を合わせたライアン・ゴズリングさながら、何か物思う様子の彼女に対し、幸せを祈るように、それでいて寂し気に無言で頷き、密やかに挨拶、そして、彼女が去って行くのを静かに見送る...... といった、そういうドラマチック且つナルシスティックな展開を用意するわけでもないのだから、事実は小説よりも “素” なり。「意味」というものに囚われる人間にとって、現実はまさに予測不能、言語道断、変幻自在のハプニング。
 いやはや、面喰らいましたよ、まったく。
 何より、別の男性と仲睦まじく歩く彼女の姿をみたあの瞬間、強がりでも何でも無く、ホッとしたというか、“あぁ、よかったな......” というような心持ちでいた自分が何の疑いも無くあの場に存在していたという現実がまた殊更に鬱陶しく。
 未練や後悔なんかが過るようならまだイジらしいところで、何より先行して、かねての負い目から解放されたような、自分が引きずっていた重りが幾分減ったかのような、ひどく自分勝手な安堵感に包まれたものだから、自分に幻滅したというか。自分自身の現実に項垂れるほかなく......。
 リアリティ・バイツだ。当然、手に余るこの現実をごまかさんとばかりに、直後、待ち合わせていた友人に会うなりネタにして報告したわけだが、それを受けた友人はといえば他人事且つ無関心ながらに一言、コンパクトにこう表してくれたのであった。
 「マジで?」
 改めていうことでもないとは思うが、結局、人生、ややもすればこれに尽きるということか。
 つまり、淡々と過ぎ去っているようにみえても冷静に振り返ればいろんなことが「マジで?」の連発だったりもして、実に摩訶不思議アドベンチャーというか。
 大体、こうやって東京に自分が住むようになるなんてことも、曲がりなりにも絵を描いて生活する日がくるなんてことも、十数年前の自分には想像も及ばなかったことであるからして、やはりライフはライブ。ありきたりな表現になるが、極端な話、今こうやって生きていることすら不思議なことであり、また、何がどうなるのかなんて本当にわからない。出たとこ勝負のガチンコ体験である。
 驚きや感動もあれば、落ち込みもする。突き付けられる現実を前に、ボクらはただそれらを感受し、乗り越え、あるいは通過し、幕を引くのみ。来し方行く末、永遠に......。
 かつて『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でドクはこう言っていた。
 「未来は白紙だ」
 突き詰めれば、白紙の紙すらその都度配られるような、要はそういうスリルを現実は常に孕んでいることになるのだが、どちらかというと平穏無事であることを願う人間にとって、一方でこれが大きなストレスになってしまうのもまた必然で。ゆえに、現実は基本的にはツラいのだが、しかし、だからこそ超克があり、活力は生まれ、生気も宿るのだから、向き合うことにも意味がある。と、考えるのはこれは我田引水だろうか......。さておき、軽んじてはどこかで牙を剥かれることになるのは間違いあるまい。
 ちなみにこれは余談になるが、2〜3年前に何かの用事で銀座方面に出向いたときにこんなことがあった。
 赴いたついでに銀座から東京駅のほうまで散策していると、一人の女性がギター片手にライブしている現場に遭遇したのだが、通りすがら彼女がしっとり歌いあげるその曲に耳を傾けてみると、歌われていた曲が耳馴染みのものであることに気付き、ハッとした。
 件の『サヨナラ サヨナラ』だったのである。
 そして、歌っていたのは竹中絵里本人。
 思わず立ち止まって聴き入ってしまった。無論、人一倍センチメンタリストでナルシシストなボクですから。『ラ・ラ・ランド』のライアン・ゴズリングに勝るとも劣らない遠〜い眼差しで、完全にシンミリ決め込んだわけですけども、これもまた予期せぬ追想でしたね。言ってもとっくに思い出ゆえ、ブルーになったわけでもなんでもなく、非常に自己陶酔的な、甘美的な一幕と相成ったわけだが、まぁ、こういうこともあるんだなと。
 “長らへば  またこの頃や  しのばれむ  憂しと見し世ぞ  今は恋しき”
 そんな趣を感じたのであった。
 とはいえ、この名歌も、真理か詭弁か気休めか。
 その惑いすら、現実を前に無意味であるからして、やはり超然的というか。
 現実は畢竟侮れない。


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