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『馳せて、巡って、考慮して』
“才能とは「記憶力」”――これは、スタジオジブリの鈴木敏夫さんが方々で触れ回っているご自身の哲学である。
鈴木敏夫さんが言うんだから一理あるのだろうとは思うが、読み誤ってはいけないのが、では記憶力があればイコール天才だったり優秀なのかといえば、それは必ずしもそうではない。
才能とはあくまで資質。事を成すにあたって直接的に作用するものではないというのがボクの勝手な解釈で、蓋し、記憶力というものが能力としてその有用性を帯びるためにはもうワンクッション重要なアビリティーを要すると思われるのである。それがおそらくこれなのだ。
“物事を立体的に考える”。
それは首都圏の地下鉄のように、高速道路のインターチェンジのように、プラレールの立体交差のように。一つの思考や想像を一本の道やレールとするならば、記憶力という整備(舗装・拡幅)技術を元手に、できるだけ行き止まりをつくらず、行き通うよう、網の目のように交差させ、広く深く高く構成、すなわち思案する。このプロセスが行動の純度(というか尤度)を高める要になるのである。
要するに、記憶力を以てして、広範な知識と豊かな経験、深遠な想像力を確保・駆使し、“多角的に物事を捉える” こと。これこそが世の中を円滑且つ器用に掻い潜る重要で実践的な一つのメソッドなのである。
実際、あらゆる方向にズルく、汚く、醜く膨れ上がったこの人間社会において、曲がりなりにもウマいことやっているようにみえる人の多くはこの能力に長けている。それは様々な分野で活躍・持て囃されてる人の発言一つ一つの思慮深さを鑑みれば十分理解できることなのだが、ともすればだ。その逆の人が相対的に「浅い」だとか「ツメが甘い」とか「視野が狭い」といった立ち位置に振り分けられてしまうのもコレ致し方なのない話で、それが善いとか悪いとかいう話ではないのだが、この能力が足りていない状態にあっては、やはり人はツッコミどころのある結果を招きがちにもなってしまうらしいのであった。
あれは確かボクが上京してしばらく、フリーになってまだ間もない頃だったか。
ボクよりも先に東京入りし、すっかり腐った社会人生活をおくっていた高校来の友人ヤスという男から、ある時にこんな連絡がきたのだった。
「女人と飲みにいきたいヒト〜!」
東京に女性の知り合いが人っ子一人いなかったボクを気遣ってくれてか、はたまた、ただ利用してのことか、その両方かわからんが、当時この男は女性とのふれあいの場にボクを積極的にねじ込んでくれるということをよくしてくれていて、この時もやさしさ紙芝居。表参道軟派ストリート。カリフォルニア・コネクション。おウチで絵を描くためのペンを置き、股ぐらのペンを握ってシコシコ時間を無為に費やしていたボクに一本の蜘蛛の糸をたらしてくれたのだった。
今だったら一ミリも行きたくないこの手の集会だが、この頃のボクにはチェイス・ザ・チャンス。なんせ20代。ファイナルファンタジーのキャラクターがみたら一泊してセーブしそうになるぐらい常に股間パンパンにテントを張りながら街を歩いてるようなヤングでしたから。前屈み&前のめり。当然ながらやぶさかではなく、ヤスの一報を前に心はすでに冷静と情熱のあいだ。
ギンギラギンにさりげなく事の詳細を聞くと、何やらヤスがネットの繋がりで知り合った女性との案件ということで。先方とネット上でメッセージのやり取りをしているうち、じゃあお互い友人を連れて2対2で飲みにいきまっしょいという流れからの数合わせ選抜。なるほど......。背筋が伸びた。というのも、いかんせんダブルス経験の浅いこのワタシ。色めき立ちながらも一抹の不安。ゆえにヤスにも一応念押しでこの確認。
「あのぅ...... 監督。ワタクシでよろしいのでしょうか?」
すると監督、優しい口調でこのリプライ。
「お前ぐらいのブサイクがオレの引き立て役にはベスト」
よぉし、表でろ!!! ......という気持ちもほどほど、“そうおっしゃられるのであるなら......” ということで、厚意に便乗、素直に同乗。流れに身を任せ、ご相伴にあずかることに。
ただそれとは別にもう一点。ふと脳裏をかすめるある懸念。それはヤスのキャスティング力。
その目利きと引きの強さで、すでにこれまで彼から数多宇宙怪獣をご紹介していただいてきているということで。無論こちらとしては毎度刺激的なご縁を頂戴し、基本痛み入っているわけではあるのだが、ただ、いかんせん敏腕すぎるといいましょうか、先鋭的すぎるといいましょうか、宇宙は広いといいましょうか。引き合わせてくれた相手のあまりの大物ぶりにS級妖怪であるはずのこちらが畏縮することもしばしばですので、もうちょっとこっちの面妖さが個性になるような、コントラストのきいてくる人類希望。――とはいっても、今回に関してはそれもヤスの手の及ぶところではないとのこと。なんせネットで知り合い、ネットでやり取りしただけのお相手ということですから。ヤスにとっても未知との遭遇。一度も会ったことのないパロプンテ案件。相席居酒屋形式。なに、むしろこっちのほうが腹の決まりもいい。丁か半か。いざ尋常に。
で、当日。
ヤスが手配してくれた居酒屋の個室でボクらは2体のエイリアンと向き合っていた。
おそらく目かなぁ〜という部分でこちらを見つめつつ、乾杯をすれば、口をあけ、そこから伸びた別の口でビールをくぴくぴ。
こりゃまたなかなかの個性派。ボクのビールを持つ手も思わず震える。隣では気が動転しているのか、ヤスが火をつけたタバコを2本、両耳にさして白目をむいている。
飲まれとる場合か。こっちだって妖怪の端くれ。ファイト一発。負けじと、気持ち悪い口を一生懸命開いてトーキン・ロック。
「キエェェ〜〜〜! クパパパパパパ!!」
ネバネバの液体を口から飛ばしながら笑ってくれるエイリアンズ(キリンジ)。盛り上がってきた。
とはいえ、相変わらずだったのが隣のヤス。このタコ、大物引き当ててよっぽど面喰らったのか、出会ってからまだ一言もお相手と口をきいていないという始末。おいコラ! このボケ!! 貴様、さぼるな!! テレパシーで説教である。
すると、その次の瞬間だった。
ガタっ!
ヤスが矢庭にすっくと立ち上がった。
え? 何事? と思い、面々ヤスを見上げれば、一拍置いて一言、心なし青ざめた表情でポツリ言うではないか。
「トイレ...... いってくる」
緊張しすぎて失禁したか? ったく、始まってまだ間もないというのに何をやっとんのや。さっさといってきなさい。
シガニー・ウィーバーさながら、慎重に部屋の端をつたって個室から出て行くヤス。しょうがないヤツである。
“早く戻ってこいよ!!”
――と、そう心の中で投げ掛けたボクの思いも虚しく、事態は想定外の局面を迎えることとなる。というのも、気付けばかなりのロング・タイム・ノー・シー。いつしかすっかりアイツが隣にいたことを懐かしく思っちゃってる自分がそこにいるという。
そうなのである。あのアホ、じぇ〜んじぇん戻ってこんのである。
時すでに現場には心配を越え不審が滲んでいた。孤軍奮闘甲斐なし。ヒットしても精々ストII(ストリートファイターII)の弱パンチぐらいでしかないボクのジョークもさっきから空を切りっぱなし。
“ヤバい......。このままでは、(オレの心が)死ぬ!!”
「クピピピ...... キェェェェ、キェェェェェ〜!」
ヤスの戻りの遅さか、オレのトークのスベリ具合かわからんが、エイリアンズもどうやらゴキゲン斜めなご様子。
“早く...... 早く(戻って)きてくれ!!!”
癪だがもはやベジータ戦で悟空の到着を待ちわびるクリリンの気持ち。限界はとっくに超えていた。
そして30分をゆうに過ぎたくらいだっただろうか。サッカーでいうところのちょうど前半いっぱい、0−30の点差でハーフタイムを迎え、ロッカールームでタオルを頭から被ってベンチで項垂れているような状況になって、ようやっとヤスが戻ってきた。
何を言うでもなく、そのままシレーっと自分の席に着席するヤス。かと思えば、気持ち悪い顔面にジョッキを運んでビールをくぴくぴ。そして、何事もなかったかのごとく居住まい。からの、再びの静観の構え。
“コイツ......!!”
世が世で、ここに憲兵がいたなら間違いなく胸ぐらつかまれて「貴様ぁ! 何をしていたぁ!!!」ってなもんである。
キマリが悪い。団体戦ならともかく誤摩化しのきかない2on2。僅かにも滲んだエイリアンズの不審を拭う気持ち反面、何ぼトイレとはいえ長時間席を外していたヤスの無礼(主に一人でダダスベりさせられたこと)に若干腹を立てていたボクはあくまで冗談っぽく、おどけつつも声を荒げ、ヤスに問いただした。
「どこ行ってたんだよ!?」
すると、理路整然とヤス。
「ん? 便所」
この期に及んでまだその牌が通ると思ってるのか? このアホは。
長年の付き合いがなくともわかる。“コイツは今、確実に嘘をついている!” と。あるいは何かを適当にごまかしている。なんせ、タバコタイムを加味しても余りある離席時間だ。例えば誰かから急ぎの連絡が入っていたのだとしても、自分がいない間に場が盛り上がるのを内心ではメチャ気にかけるような男なのでこのタイミングでここまでの長尺電話をするなど考え難いし、とにかくポジティブに捉えてやるつもりなど毛ほどもなかったので断固として決め付けたが、折り合いがつかん!
「グゴゴゴゴゴゴ......。プシュ〜プシュぅぅぅぅ〜」
エイリアンズもそんなキナ臭い雰囲気を察知したのか、頭部にある謎の穴から蒸気を噴出、不審と苛立ちを深めているご様子。
いかん。殺される。先方のリアクションに我に返ったボク。何はともあれここは一つ余計な詮索はせずサラっと受け流すが最良と踏み、臨機応変すかさず軌道修正。場を取り繕うべく、定番のツッコミをヤスへと投下し、事態の収拾を図ることに。
「いや、どんだけデケぇ〜クソしてんだよ」
よし。これでいい。ベタだがベストな改修&着地。ひとまずこの件は終わりだ。あとはヤスが「そりゃもうアフリカ象もビックリですわ」とか何とか言ってスベッてくれれば、釣りがくるぐらい。そしたらもういい。それで手打ちにしてやろう。な〜に、気にするな。オレだって鬼じゃない。事の真相はあとで茶でもしばきながら聞かせてもらおうじゃないか。そんときゃお前、コーヒー一杯ぐらいおごれよな。――云々、コチラで柔和に切りをつけ、さぁ仕切り直しましょうやと改めてジョッキを掲げたその刹那。
隣からまさかの “面舵いっぱい”。
そのまま適当に笑って流してくれさえすりゃそれでよかったものを、素直なのか、天然なのか、自分がウンコキャラにされるのがイヤだったのか、ぽんこつクルーが真顔でこう返してきて、切らんでもいい舵を切りやがったのであった。
「......クソじゃねぇよ」
えっ?
瞬間、個室の壁がドリフみたいに4方向へと倒れた。と、同時に、ヤス以外の全員がイスごと後方にズッコケ。
各々立ち上がってイスを戻しながらヤスに目を向けると、心の中で一斉にこの大合唱。
“じゃあ、何よ!!!?”
ヤブをつついてヘビを出すな!! であった。
っていうかね、ええ加減にせーよ。貴様が何を埋めんとしてそう言い返したのか知らんがね、こっちサイドはもうおのれが便所に行ってようが行ってまいが、あるいは、便所でクソしてようが、吐いてようが、オナニーしてようが、みたことない葉っぱ炙ってようが、珍しい粉を吸引してようが、知らない男捕まえてイチャついてようが、んなこたぁどうでもいいのである。というよりむしろ、そこを今上手いこと丸っと流そうと気を利かせたとこなのである。
にも関わらず、このおたんこナス改めおたんこヤスときたら......。みてみろ! お前のしょーもない弁明のおかげで、不審は逆流するわ、場の収まりは悪いわ、オレの斟酌が台無しだわ、結果的に相手にも失礼だわ......。
状況をおもんぱかりなさい!!!
蓋し、物事を立体的に考えていない人間の所業なのであった。
これはいわゆる “場の空気をよめ” とか、“人の身になって考えろ” とか、そういうことをしなさい! するべきである! なんていう単純で押しつけがましい話ではないのだ。いってみれば、場の空気をよんだり、人の身になって考えることすら本当に必要で重要なことなのか――そういう風に適宜踏み込んで思考するという姿勢、ないし幅広な視座で考慮するという一手間(一苦心)が、ややもすれば何かを真摯に思い遣り、最善の選択・行動を導きだし、果ては齟齬の少ない結果をもたらすことにも繋がり得るんだという、人としての誠意というか正当性というかホメオステーシスというか。口幅ったく拡大解釈するところのその人個人の器量ないし度量、いわば人間性に関わるお話なのである。
たとえばそれは何かを表現するとき、表現の質というものがその表現者のなかにあるポジティブとネガティブの振り幅によって左右されてくるように。人間性というものが喜びと悲しみ、幸せと不幸、成功と失敗、希望と絶望等々の振り幅に裏打ちされるように。自分にとって都合のいいこと、具合のわるいこと、望むこと、受け容れられないこと、楽なこと、辛いこと云々、上から下、プラスからマイナス、明から暗とどれだけの思量をもつことが出来るか、可能性を加味することが出来るか、想像を働かせることが出来るか、選択肢を並べることができるか、バランスを崩さないギリギリのところまで自分を否定し疑うことができるか。ひいてはそれがその人自身の “幅” になり、“質” になり、果ては下世話な表現で少々憚られるがわかりやすくいうところのあなた自身の評価、すなわち損得に繋がってるんでっせ! ということなのである。
“思索する前に生きよ・見る前に飛べ” なんていう格言もある。たしかに考えすぎないことが功を奏することもある。が、これは論点が違う。そういう話ではない。視野は広角なほど見通しがよくなり世界を僅かであれ、より掴まえられますよ――と、そういうお話なのである。......なんてことを、くどくど偉そうに並べ立ててる自分がじゃあそういうことが出来る人間なのかといえば、こうやって人に対し自分の都合で一方的に非難の目を向け批判しにかかっている時点でいかにも視野狭窄なのだから、これは目くそ鼻くそを笑う、虎の威を借る狐、同じ穴のムジナ...... いや、むしろこうやって手前勝手な理屈を臆面なく堂々とあげつらう自分の図々しさこそ平面的思考の最たるものであるからして、結果一番タチが悪いのは何を隠そうバカなくせして傲岸不遜なボク自身だったり......。
ともあれ、会は淀んだ。我々の小人物感が洩れ伝わったのだろう。その後、どこか据わりの悪いまま上っ面の時間は流れ、2時間で店を追い出されれば、そのまますんなり散会。2次会はまっぴらゴメンとばかりにエイリアンズもそそくさと円盤に乗って帰っていってしまった。
円盤を見送ったあと、二人トボトボと駅まで歩くその道すがら。やるせない気持ちをかき消そうと、ボクはヤスに先程のあの空白の時間について改めて問いただしてみた。答え合わせも兼ねて。するとやはり真相は別にあった様子で、ヤスは “それ言わすぅ〜?” な態度で翻ってこう件を振り返ったのであった。
「お前に花もたせてやろうと思ったに決まってんだろ」
いや、どういう了見? それ?
女性陣と出会う直前まで『きめてやる今夜(ジュリー)』ぐらいのスタンスで息巻いていたのを知っているだけに、もっとシンプルな別の真意があることをボクはよ〜く理解していた。が、さておき、本人の主張によればお見合いの仲人ばりにオレに気を利かせて席を外し、アピールタイムを設けてやったということで。
百歩譲ってそれが本意だとしてもだ。ハッキリ言う。お前のそのパスはあさっての方向である。
“おもんぱかりなさい!!!”
どこか空々しいヤスの表情を傍目に心の中でそう叫びつつ、我に返り、ボクは押し黙った。
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