『ダブルバインド 〜身から出るサビ〜』


 美味しいとか不味いとか、暑いとか寒いとか、痛い痛くないなんていう、そういう反射的というか直感的というか生理的な反応はともかくとして、人事や事象に関する人の反応、ないし、それにまつわる態度というのは何ともまぁ〜気の毒としかいいようのない体をなしているもので、往々にして惨めなものである。
 どういうことかというと、後者の反応にあたってはおおよそその人自身全く思いがけないような裏があったりするもので、後になって冷静に振り返ってみればこれが何とも汗顔の至り、自分の態度に幻滅すること山のごとしなコンフロンティング・リアリティー。
 たとえば。ボクが従事するこの「挿し絵描き」なんていうモンキービジネスの世界なんか、そのへんかなり顕著で、特に同業者同士の関わり合いともなると、社会性が欠如した人間が多い分、他のいかなる業界よりも底のほうで殺伐としあっているものだから、わかりやすいというか、みっともなさが如実。お互い “お粗末なもんですなぁ” なんて言って傷を舐め合っているうちはまだマシなのである。が、しかし、ひとたび互いの成果に話が及べば、空気はピリリッ。どれほど平然を装おっていようとも、各々手持ち防具の準備に大わらわ。
 卑近なところでは、近しい同業の誰かが何かうらやむべき仕事を成したとして、それを聞かされたときの銘々のリアクションなんかはもう痛々しさの極みで、それぞれが賞賛したり、感心したり、リスペクトしたり、ヨイショしたり、やたら上から目線で評価したり、冷静且つ淡々と話を受け止めたり、聞き役に徹したり、口数が減ったり、黙りこくったり、急に目を泳がせ始めたり、爪を噛み出したり、仕事の詳細を詮索したり、何やら仕事の裏を邪推したがったり、露骨に機嫌を悪くしたり、別の話にすり替えようとしたり、うまいこと笑いに昇華させつつ妬んでみたりと、まぁ〜いろいろあるわけだけれども、どの態度も余程その人個人に余裕、すなわち自信だとか実績がない限りは、どう転んでも一貫して同じ一つの目的に収斂されてしまうものだから、いかにも体裁が悪い。
 その目的というのは、要するに “自己防衛” なのだけれども、とにかく三者三様、意識的にせよ無意識的にせよ、それぞれが自分の心にダメージを受けないよう、また、自分にとって都合がよくなるよう、“懸命に取り繕う” という型にハマらざるを得ず、どう足掻いても自己中心的で見苦しい自分が顔を出してしまうキマリの悪さ。
 斯くいうボクなんかは、上のような場合、ほとんど無意識的で認めたくはないが精神分析っぽく努めて客観視するに、徹底的に自分を貶めるといういわゆるフロイドがいうところの「道徳的マゾヒズム」スタイルの典型で、結果をだしている人の努力と才能を認めて評価すると同時にそれが足りていない自分をこてんぱんに卑下してあぶり出すことで、“自分がそういう結果と縁遠いのは努力と才能が足りていないからだ” と腑に落としつつ、その裏、“そういうものがあれば自分もあるいは同じ結果を得るチャンスがあるかもしれない”、“それを自分はまだしていないんだけなんだ、開花させていないだけなんだ”、“その余地が自分にはまだありえるんだ” ――などという極めて非現実的且つナルシスティックで甘えのある抜け道づくりによって難を逃れようとしている自己欺瞞野郎でして、他面(というかおそらくそれが非現実的な迷妄であることをどこかで理解しているがゆえの反動でだと思うが)、そういう成果云々といった俗な思考で精神を保っているかもしれない自分に対する嫌悪感・抵抗感・逃避感というのもでてくるもので、悪いのは過剰を善とする大量消費社会だと、俗物思考を促す元凶としての俗社会を目の敵として、距離を置きたいと強く願う自分も析出してくる分、いろいろと折り合いはつかず、立つ瀬もなく、顔向けもできず、ダサい、さもしい、情けない、具合が悪いのフルコンボ。とにかく、何かに対するたび、自分のコンプレックスやら、エゴイズムやら、ナルシシズムやら、せせこましさなんかがあらわになるものだから、ほとほとイヤになる。
 若い頃なんかはその辺無自覚だったというか、無頓着だったというか、無知だったというか、自分の人生に何の緊迫感ももっていなかったものですから、良く言えば怖いもの知らず、悪く言えば身の程知らずで、「どーもどーも、アポロくんどぇ〜す!」なんて調子で嫌われようが馬鹿にされようがアホ面さらしてハンドシェイク、盲蛇に怖じず誰彼構わず平然と振る舞っていたところもあったわけだが、ある程度歳を重ねて、蓄積されたものが大なり小なり増えてくるとまぁ〜アカンですわな。今となってはもうすっかり対人恐怖。通説どおり、齢40にもなろうというのに孔子の言葉不適応、日を追って惑いまくるというテンプレ人生。
 ともあれ、何かに対して自分ないし人が示す態度というのは銘々の意志の範疇にないというか、往々にして自己欺瞞的であるという嫌疑がボクのなかには常にあるものですから。マジメで頑固一徹、完璧主義の向きがある自分としては何かと慎重にならざるを得ないというか、人間の自我というものの不確定・不分明・不安定さに心を砕かさせられては意に反する現実を突き付けられる心外なエブリデイでありまして......。
 話は逸れるが、これは大学時代のある日の一幕だ。友人であるサワKという男と神戸は三宮の都心にある三宮センター街という連日人で賑わう長〜いアーケード商店街を二人でほっつき歩いていたときにこんなことがあった。
 あの日、あの時、あの場所で、高倉健ばりに粛々とセンター街を歩いていたボクら二人。――と、ある程度ぶらついたタイミングだったろう。その日、ボクはセンター街にインする前から何か薄々感じていたある異変に対し、確信に至ったのであった。
 “周りからの視線が痛い”
 そう。その日、すれ違う人、すれ違う人からなぜか我々に向けられまくっていた熱視線。
 いわんや、ボクという人間は当時ももちろん自意識過剰ではあった。が、これはもはや己惚れや勘違い云々といったレベルの事態ではなく。なんせみんなあからさまにこちらを凝視、からのクスクス笑い。
 確実に好奇の目にさらされているではあ〜りませんか。
 “何だ? コイツら...... ブサイクのツーペアがそんなに珍しいか!!?”
 という悲痛な自虐もほどほどに、意識が及ぶや否や、一気に気が気でなくなってきたボク。
 サワKはこの状況に気付いているのだろうか? ミステリーの真相を究明すべく、不審を共有、確認の意味も込めてこの異常事態をサワKに伝えようとふっと隣に首をひねったその刹那。ボクははたと思い至ったのであった。
 “あ、これだ” と。
 眼前に広がっていた光景。そう。隣を歩いていたサワKの顔のアッパー・マンハッタン。天を貫く摩天楼。高さ十数センチ、いやそれ以上はあっただろう。
 この人、めちゃモヒカンだったのである。
 常日頃、芸大という独自性の許容範囲が割かし広めで多種多様な生き物が揃っているワギャンランドの中にあって、この巨大アイスラッガーを毎日当たり前のように眺めていたものですから、俗人且つ偏狭なボクもすっかりマヒして馴染んでしまっていたが、完全にコレ。コレで決まり。みんなこのパンク兄ちゃんのトサカをみていたのに違いない。
 な〜るほど、ザ・ワールド。
 ともすればだ。ゲンキンなようだがこれ以上の言及は不要。原因が自分じゃない以上、これをサワKに伝えるのは野暮というもんである。なんせ、彼にとってはきっと日常茶飯事。むしろ見られてなんぼのGo my way。
 勝手に納得したボク。ということで、彼のモヒカンをニコニコと眺め、改めて新鮮な気持ちで感心しつつ、揺れたマリーゴールドに似てると思いながらそのまま歩を進めていたらば、その次の瞬間だった。
 あにはからんや、何かを汲みとったサワKがボクを横目にポツリ一言。こちらでたたんだ洗濯物をわざわざたたみ直すがごとく平然とこう言いくさったのであった。
 「アポロ、お前な...... みんなに見られてんで」
 はい?
 “こいつ正気か?” 事案発生。
 一方通行の道で、まさかの逆走車と正面衝突。
 エアバッグに顔を突っ込んだボクは慌てて車から飛び出すなり、ダッシュで相手側の車に詰め寄り、窓を連打、車内で同じくエアバッグに顔を突っ込んでいるサワKを強引に引っ張り出し、胸ぐらつかんで怒鳴り込むようにこのフル突っ込みである。
 「アンタやっっ!!!!」
 まったく関西人ってヤツは笑いに走りたがりというか、欲しがりというか、貪欲というか。いちいちボケな気がすまんのだから気が抜けない。
 御社ですよ。御社のそのフリースタイルが衆目を集めているんですよ。
 そこらへんわきまえたうえでのボケでしたかね? と。ついつい関西にいることを忘れてマジにとってムキになってしまった自分をちょっぴり恥ずかしく思いつつ、“OK、OK、そのギャグ面白いよ” の心持ちで切り替え、取り直してボケに乗っかってあげようと、ふっとサワKの表情を確認してみたらば、あらビックリ。このモヒ(モヒカン)、チョー真顔 feat. 真っ直ぐな眼差し。
 いや、マジなの!!?
 なんならどうだ。挙げ句の果てには、逆にこちらの頭部をみてニヤニヤしてくるという始末。
 そんなサワKの転嫁ともとれる態度を前に、自信NAI・NAI 21だったボクはといえば、ここではたと我に返ったのであった。
 待てよ、と。
 というのも、何を隠そうこのボク。クセ毛で細毛で猫っ毛という始末の悪い髪質三要素を具えた難毛人であるがゆえ、当時ワックスを髪にバリバリ練り込む堂本剛スタイルを取り入れていて、髪型がいささかジェットコースター・ロマンス。もちろん自分的にはノーマルライン、すなわちフツーにセットしてる程度だと思っていたのだけれども、この流れでショーウィンドウ越しに映っていた自分の髪型をふと顧みてみたらば、これがなかなかどうして、岡本太郎作品の造形。頭部からツノが放射してるが如きMy Hair is Bad。プチ・超サイヤ人状態。
 オレかもしんまい!!!!
 わかり始めた My Revolution。
 繰り返しになるが、自分に自信のない人間でしたから。青天の霹靂。全部勝手な一人解釈だが、サワKの問題提起たる態度を眼前に急転直下、一気に揺れて崩壊するサブジェクティブ。
 つまるところがだ。事の真相はさて置き、ここではっきり気付かされてしまったのであった。ああ...... 自分の都合のいいように事態を解釈し、それを無根拠に優先してしまっていたんだな、と。
 “主観トラップ”
 主体的所見によってもたらされてしまった軽率。
 日常においてあまり意識されていないというか、目くらまされてるというか、スッポリ抜け落ちがちなことだと思うのだが、“主観” という概念に対して、人は往々にして過保護である。それは子に対して過保護な親が、自分の行為を過保護だと思っていないのと同じぐらい、あるいは周りが感じているよりもはるかに過少に捉えているほど愚鈍なまでに。
 言い方を換えれば、相当過信しているということでもあるわけだが、たとえばマスコミがタレントのスキャンダルだ何だとかいって一個エサを投げたときの人々の反応だって、バシャバシャと群がる池の鯉のように “まっすぐ” に、それでいてどこかみっともない様相を呈しつつ、みんな自分の受け取り方や考えが絶対と言わんばかりに、躊躇無くいろんなことを批判したり、非難したり、乗じてひけらかしたり。よくもまぁそんな聖人君子然として “オレが法律だ!!” みたいな発言や態度をいけしゃあしゃあと何の疑いももたずにできるなと。そういう光景を目の当たりにするたび呆気にとられるというか、ある意味関心したりすることもあるわけだが、大体この手の連中というのは子どもに悪影響だとか、不道徳だとか、業界がなんだ、ルールがなんだ、社会の秩序がどうのこうのとか、決して “自分本位で言ってるわけではない” というような大義名分で自分の正義を微塵も疑っていないところがあったりして。もちろんそういう意識が大事だったり、憂さ晴らしじゃないけど他人を責めて自分の内部の安定を保とうとしてるだけだったりするのかもしれないけど、注視すべきは、そのあまりの無条件さというか無神経さというか図太さというか。まずもって一顧だにしないその姿勢。つまり、“そう言っちゃってるオレはどうなのよ!?” とか “そんなこという権利、ワタシにあるぅ!?”というような反照ないし、内省なき態勢とでもいいましょうか。よしんば自分を顧みていたとしても自身の悪事やマイナス要素に関しては余裕で記憶が消されてたり改ざんされてたり美化されてたりもするものだから頑としてふてぶてしくもあるというか。
 話を戻すと、そういう思い込みの罠にまんまとハマって、サワKに一方的に濡れ衣を着せ、とんだ無礼を働いてしまった! と。自分の我執に平身低頭。イカンイカンと舌を出しながら手をグーにして頭をコツン、忸怩たる思いに駆られたボクなわけですけれども、かと思えばその傍ら、サワKはサワKでボクにそう言い放ったあと、完全に家に帰りたくなってるボクを余所に堂々としたもんでしたね。歯牙にもかけてないというか。超然且つ “オレのモヒ(モヒカン)、どう!!?” と言わんばかりの悠々たる足取りで。まさに投げも投げたり、打ちも打ったり。主観ファーストなトムとジェリー。
 ともあれ、意識的・無意識的、あるいは意図・無意図に関わらず、主観というものの陥穽というか、どれだけ正しいっぽいことを思ったり考えたり言ったり信じたりしたとしても、その全ては逆を含み得る、すなわち所詮はおのおの自己安定のために自分の中の整合性を保つための理屈を並べているだけ、 “自分の都合” に準じているだけなんだということに対する無懐疑ないし無自覚。この強固さたるやなのである。無論、それが強固であるからには “強固である理由” だとか “強固である必要” というのもあって、それはつまり俗に言う自我(自分のなかの首尾一貫性)と呼ばれるようなものをグラつかせないためのある種の条件反射的誤魔化しということなのだろうけど、まぁそこらへんの事情は差し当たり横に置いておくとして、とにかく、主観とは自分による自分の勝手な推定であり、希望的観測であり、偏見であり、事実無根なものであり、ややもすればあって然るべきそういった視座を遮断するブラインドでもあるということなのだ。
 そこにきての冒頭の件なのである。
 “主観” というものの一つの捉え方としてあり得るであろうそういう側面を鑑みればだ。自分の態度に戦々恐々としてしまうのもやはりこれは当然の帰結というもの。
 喜んでもらえたらという想いで、人に何かプレゼントをあげる―― どこかで見返りを求めている自分がいたり。
 思い遣りの気持ちで、しんどそうにしている人に席を譲る―― 悪者になりたくないとか、そこに何か優越感を感じている自分がいたり。
 相手に正直に言うことが誠意だと思って、浮気したことを相手に告白する―― 単純に罪悪感から逃れたい・減らしたいだけの利己的な自分がいたり...... 云々。
 滅私してよ〜く検証すれば、自分の行動の裏に否定しきれない不都合(下心)が必ず内在している(見当たる)という、まさに悲劇というか因果というか。
 “愛” と “憎しみ” が同義であるように、尊敬の裏には必ず嫌悪があるし、正義の裏には確実に悪が潜む。全て同じコインの表裏。
 そして、人は自分が侵害されることにナーバスな分、他人に非常に厳しい眼を向けがちなものであるからして、自分以外の人の伏せられた裏側、隠蔽された思惑には超鋭敏だったり。ゆえに、自分ではまったく気付いていないような厭らしい面を他人はキチンと見透かしているという図式が成り立っていたりもするものだから、これまたどうにも世知辛く......。
 かつて、福山雅治は言った。
 「人に対して自分のことを信じろなんて、オレは口が裂けても言えない。だって、オレがオレのことを信用してないんだもん」
 福山の立ち回りの巧さ、やり取りの妙というのは、まさにこういう諦観の賜物だと思うのだが、要するにそれぐらいのスタンスでいれることこそ、これすなわち世才ということだったりするのである。
 また、別のアングルで、田辺エージェンシーの社長・田邊昭知さんはよくこんなことを口にしていたという。
 「己に起きるすべての悪い出来事は、すべて己が原因である」
 自己に対する疑心暗鬼が振り切れた先の深〜いお言葉である。こっちの方向で思い込みすぎるのもよくないが、しかし、煎じ詰めれば確かに正鵠を射ているのであり、そういう自照の感覚をキチンともっていたほうが芯が通るというか、正しいジャッジが出来るというか、下から上までより深く汲み取れるというか、賢明だったりもするのである。
 事程左様に人はエゴイスティックであり、またそれに無自覚で、且つ無自覚であるということに無自覚だということなのだ。
 ということでこの話のオチなのだが、これはもう皆さんお気付きの通りでしょう。要するに上記のこと全てがボクの都合に準じた理屈付けであり、さも何かの真理のようにツラツラ書き綴ることによって自分を一段上にあげて(あげた気になって)内部の安定を得ようとしている厭らしさの表れであり、目クソ鼻クソを笑うという無自覚の典型、自分に対する甘やかしと図々しさと愚鈍さであり、ボクという人間の脆弱さ、浅ましさそのものの裏付けになってしまっているということで。
 振るえば振るうほど、身から出るサビ。
 そして、“そんなことはない”、“自分は違う” と思ったところで、それもやはり所詮 “主観” の魔手の上であり......。
 行き場もなければ、行く当てもない。行くよすがもない。それでも行かなければどうしようもない。
 人間とはほとほと惨めな生き物である。


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