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『バック・トゥ・ザ・パースト』
天秤を想像してもらいたい。
一本の棒があって、その両端に皿のようなものが配置されていたかと思う。
この段階で「えっ、ワタシ違う」という人は、冷静にイメージし直してもらうか、ネット検索してもらうか、脳の精密検査を受けるなりしてもらえればと思うのだが、釣り合いの取れた天秤があるとする。
当然釣り合いが取れているということは、両端の皿には等量・等質のものが配置されているということになるのだが、これを仮に「生」と「死」とする。
急〜にぶっとんだ発想をブッ込んで申し訳ない。気味が悪いとは思うが、とにかく左に「生」、右に「死」があるとしていただきたい。
一本の棒があって、その両端に生と死。つまりこれは人生といえるだろう。
では、ここで本来その棒のド真ん中にあるべき支点を「現在」とした時、それを人の人生のように生から死へと移動させてみた場合、釣り合いはどのように変化するか。
“人が生まれる”。と、これを上記条件の天秤上で表現するとすれば、左端の「生」に支点(現在)が位置することになる。
両端が等量・等質で支点が一番左端にあるとなると、これはもう当たり前だが対極の「死」が完全に下に落ちた状態になる。「死」=「未来」で、つまりは100%未来が重たいという状況が顕在化しているわけだ。
で、両端をつなぐ棒を時間軸として、そこから時間の経過のごとく支点を左(生)から右(死)へと移動させていくと、人生のちょうど半分で「生(過去)」と「死(未来)」が等しいものになり、人生の後半に支点が移動していくと今度は左の「生(過去)」がどんどん下に落ちていく様子が想像出来ると思う。
いかがだろう。我ながら猛烈に伝わりづらい表現で恐縮だが、要するに何が言いたいのかというとだ。
年を取ればとるほど過去というものが未来よりもどんどん重たく、つまり重大になっていくということである。
実際、30半ばにしてボク自身ノスタルジックになることが増えてきている。一人ぼっちを極めすぎて、ここ数年のトピック & メモリーが皆無であること、年を重ねて完全に頭デッカチになってしまっていることにも要因があるのかもしれないが、誰かと話せば事あるごとに思い出話をしてしまっている自分に気付く。
要は、削り終わった鰹節をシャブるようなマネが増えてきたのだ。
悪い事ではない。......はずなのだが、しかしどうだ。世の中のノスタルジーに対する評価というものは実に厳しいものがあるように感じる。
現在を一生懸命生きることが未来であり、未来を真摯に見据えることが現在であるという世の中の雰囲気を前に、過去はあくまで現在や未来のための反省・克服材料でしかその在り方が許されていないような、過去を単純に振り返って懐かしむことが愚行であるかのような気配がある種の羞恥心と共に少なからず社会に漂っているのである。
「過去は振り返らない」みたいなニュアンスのことを口にする人がいる。自己啓発として確かにそういうアプローチもわからんでもないが、それを自己啓発として口にしている人が実際どれほどいるものか。くだらない虚栄心や軽薄なモダニズムの喰いものになっている気がしてならない。
執着するのはダメでも、過去を思いだして何が悪い。過去に浸って何が悪い。過去に酔って何が悪い。加藤登紀子の『時には昔の話を』でも歌われている通り、“あの日のすべてが空しいものだと それは誰にも言えない” のである。
過去の在り方を十把一絡げにして軽視すべからず。良きも悪きも自分の過去に対するリスペクトを怠ってはいかんのです。
とはいえ、世の中には本人が臨む臨まないに関わらず、過去に対してぞんざいな輩というのもいるもので、例えばそれは思い出が稀薄な人、すなわち全然過去の出来事を覚えていない人なんかにもその有りさまを見て取ることが出来る。
「そういやオマエ、あの時、シャブ打ちすぎて、全然知らない人のドタマかち割ったよなぁ〜(笑)」
「......そうでしたっけ?」
いや、“そうでしたっけ” ぢゃねーよ! と、こういうヤツ。
記憶障害もいいところなのだが、こういうことが多い人はその人間性も極めてちゃらんぽらん。空間認識能力の低い、ノー・ディテーラー(言葉適当)といったところで、もうちょっと気を引き締めて生きてもらいたいところなのだが、さらに突っ込んだところでは別のベクトルで厄介なパターンというのもあって、それがこういう人になる。
“デタラメに記憶している人”。
「初めてのデートで行った八景島シーパラダイス。あん時、お弁当作ってきてくれて、あれホント嬉しかったなぁ〜!」
「私、行ったことないけど......。シーパラ......」
こうなってくると、もう失礼である。
とはいえ、多かれ少なかれ過去というものは各々の都合のいいように脚色されていくもので、男が純粋に別の女と間違えているのか、女が完全にド忘れしているのか、もはやどちらの記憶が正しいのか知る手立てはなく、ここに過去というものの難点を見る。
高校来の友人にヤスという男がいて、この男とボクの間にも未だに解決されることのない過去の齟齬があって、顔を合わせては殺し合いになる思い出話というのがある。
それは高校3年の冬、お互い大学の推薦合格が決まって浮かれポンチになっていた冬休み、クリスマス・イヴの出来事。
クリスマスにお出かけの予定もなくお家でマリオカート(タイムアタック)or 家族で今夜はHearty Party(竹内まりや)というのがどうにも耐えられないあの時分。彼女ナッシングで何の予定もナッシングだったボクとヤスは、その日お互いの傷を舐め合うかのように二人で映画を観に出掛けていた。
野郎二人でクリスマスの街をほっつき歩くというのもあの年頃にはなかなか痛々しいものがあったが、それはさておきボクにとっては久しぶりの映画。
携帯やネットなんてものがまだまだ普及していなかったこの当時。情報収集に不精だったボクとヤスのスタイルはといえば当然の現場主義。ということで、何の映画を観るかである。
「チョ〜観たいヤツがある」
どうやら観たい映画があるらしく、ヤスがボクにアピールを始めた。
「チョーーー話題のアレなんだけど、いい?」
「いや、ベタで恐縮なんだけどもさ! やっぱ観とかなきゃ、アレぢゃん?」
その当時公開していたチョ〜話題のアレといえば、ブルース・ウィリス主演『シックス・センス』。
ボクもまだ観てなくて、ちょうど観たかったヤツなので「オッケーオッケー」と提案に即同意。
するとどうだ。それを受けたヤスがワクワクを気持ちの悪いテンションに反映させつつ、ボクに向かって続けてこう言うのであった。
「チョ〜楽しそうだよなぁ〜! 『GTO』!」
えっ!!?
今、この人なんつった!? である。当然。
ボクはおそるおそるヤスに問い質した。
「GTO...... 観るの?」
「ん? GTO以外になんかある?」
あるよ!! このバカっ!! ネズミ前歯!!!
そう、ソリマチだったのである。
AKIRA(EXILE)より前に、反町隆史で一世を風靡したドラマ『GTO』の劇場版のアレ。
必至に抵抗した。シックス・センスを推しつつ。が、ヤスの観たさはワイルド・スピード MEGA MAX。きったねぇ道ばたで寝転がってダダこねるので、もうしょうがない。逆にアリかなと強引に自分を納得させ、流れに身を任せることに。
で、約2時間。体感で8時間、GTOを観劇。終わるや否や二人とも無言で劇場を後にした。そう、後悔の念に駆られながら。
藤原紀香が出演していたのだが、彼女がダッシュするシーンで胸がボインボイン揺れていたという記憶以外の印象が皆無。まぁ、それがあっただけ救いだったのかもしれないが、とにもかくにもこの時心の中で強く抱いていたのはこの1点。
“シックス・センスを観ればよかった!!”
率直な感想であった。
あんだけ観たいといっていたヤスはどうなんだ? ヤスの顔をそっと覗き込んでみる。と、完全に視点が定まっていない。さっきからずっとダンマリ決め込んでる様子からいっても、コイツめ、罪悪感にかられてやがるな。当たり前だ! 反省しろ!! このノー・センス人!!
とはいえ、まぁこれも思い出である。もういい。忘れる。許してやろう。ヤスの肩をポンと叩いてそっと励ましてやろうとしたその時だった。
ずっと沈黙を貫いていたヤスが虚に乗ずるが如くまさかのセリフを言い放ってきたのである。
「オマエがどうしてもって言うから観たけど、つまらんかったわ〜」
はぁ!!?(怒)
今、それを言ったのはオマエのその気持ち悪い口か!!? 人類でいうところの口と呼ばれるその部分か!!!
飼い犬に手を噛まれた気分である。と、さらにこのブサイクな犬は堰を切ったように調子に乗ってガンガン噛み付いてくるではないか。
「だ〜から、『シックス・センス』にしようって、言ったんだよ。オレは」
「な〜んで、オレの言うこときかなかったわけぇ〜?」
「ほ〜んとアポロってば、頑固マン!」
ボケか? それ、ボケなのか!!? あぁん!!?(怒)
だとしても、もはやそんなしょーもないボケに乗る元気はない。こちとら約2時間魂吸われてんだ。
ボクはシダックスのゴミ置き場を通過するタイミングで、ヤスにドロップキックをきめてゴミ溜めに叩き込むと、その日はさっさと帰宅した。
で、この日の出来事は冬休み明けにネタとして当然別の友人に語られることになるのだが、ヤスはまさかの行動に出た。そう、いけしゃあしゃあと過去の改ざんをキメ込みやがったのである。
「アポロがどうしてもって言うから『GTO』観たんだけどさ、これがね、もうクソ!」
にゃろぉ......。
面白く脚色される分には結構だが、オレはな、嘘は嫌いなんだよ、嘘は!!(嘘つくけど)
いちいち真に受けて弁明するのもダサいのだが、ヤスの “ボケとかじゃなくマジ” みたいなその態度に神経を逆撫でされたボクは、自分のというよりむしろヤスの人格のためにも対抗。
「いや、オマエが観たいっつったんだろうが!!! グレートティーチャーをよ!!!!」
「いやいや、オレは『シックス・センス』って言ったよ? そういう嘘はダメだわ、アポロさん」
「キィエェェェェェェェぇーー!!!」
と、このやり取りがかれこれ16年である。
当然事実を証明する手立てはなく、二人でこの話になる度大揉めしているのは先にも記した通りだが、その様子をみた第三者はといえば皆口々にこう漏らすのであった。
「どうでもいい」
要するに、自分の過去は自分のものだということである。
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