|
|
|
|
|

『愛と哀しみのボレロ』
例えばこうだ。
あるカップルがいるとして、二人の間で喧嘩が勃発しようとしている。
男がよっぽどガキか短気かバカでない限り、男女間の諍いにおいてその口火をきるのはおおよそ女性の役割だ。
深夜2時だった。ちょうどセックスを終えた後のその部屋に彼女の怒声が出し抜けに響き渡った。
「セックス終わったあと、すぐ手洗うのやめてよっ!!」
不満だったのである。
終わった直後はいつもすぐにタバコを咥え、ティッシュを捨てに行くついでに “キレイキレイ” で手をじゃぶじゃぶ。そのまま冷蔵庫を開き、『NANA』のシンちゃんみたいにペリエにライム絞ってクール! みたいな。
寂しかった。さっきまで耳元であんなに甘い言葉を囁いてくれていたのに。コーヒーにミルクを入れて混ぜる時のように滑らかに溶け合って一つになっていたはずなのに。なんで...... すぐに...... そんな......。
考えれば考えるほどモヤモヤは止まらないHa〜Ha。圧し殺していた不満が溜まり溜まってついにコップから溢れると、彼女の口から抑圧されていた彼への願望がこぼれでた。
「終わったらしばらくは腕枕タイムしてほちぃ〜のっ!!!!」
そう。遠足は家に帰るまでが遠足であるように、セックスも彼女が眠るまでがセックスなのである。
「腕枕してくれないなら、もう別れる!!」
なんでそういう飛躍の仕方をするのかさっぱりわからないが、取り繕い名人の男は泣きながらうずくまる彼女を抱き寄せて言った。
「そんな風に思ってたなんて知らなかった。気づいてあげられなくてゴメン。今度からは腕の血が止まって感覚がなくなろうが、朝までずっと、ずっと、ZUTTO(永井真理子)、腕枕してあげるからね」
「ほんと......?」
「インディアン、嘘つかないよ(ウインク☆)」
「タッちゃん......(仮)」
「南......(仮)」
第二ラウンド、スタァァーーーットゥ!
......みたいなね。
自分の作り話のチープさにうんざりしてきたのでこの辺にしておくが、とにかくこういう大層程度の低い喧嘩が実際起こったとしてだ。ここで焦点を当てたいのはこの男がその後腕枕をしてあげるように果たしてなるのかというポイントである。
しばらくは腕枕をしてあげるようになるかもしれない。しかし、どうだ。結局いつの間にかしなくなるのが目に見えるのは、決してボクだけではないことだろう。
これは下種の勘繰りでもなければこの男の性格の問題でもなく、おそらく人間という生き物の根性がそうそう容易くは変わらないということを我々自身がそれとな〜く自覚しているからだとボクは解釈する。
映画の『アルマゲドン』然り、『ザ・コア』然り、何かを変えるためには根っ子の部分にアタックするしかないわけで、それはどんな場合でも困難を極めるものだ。いろいろな実情を抱え、矛盾を孕み、根が複雑な人間にとっては尚の事である。
所詮、個人が日常レベルで実感できる変化なんぞは瑣末なのだ。“学んだ”、“反省した” なんていって少々自分を省みたところでそう易々と本質までは変わらない。
結局、自分の中で成長したと思えるような様々な変化もそのほとんどはポーズ程度のものにしか過ぎず、それゆえかボクらは過去の過ちや反省を幾度となく繰り返してしまうのであった。
前回のオナニー事変(オナニーのしすぎでキャンタマを痛めるという出来事)から半年の月日が流れようとしていた。
季節は春。桜のつぼみ膨らむ3月終わりことだ。
その日ボクは、暖かいそよ風が窓の隙間から春の訪れを知らせるその部屋で、異常事態が発生している自分の股間をみつめ、狼狽していた。
“オナニーは一日一回”
あの日、そう心に誓ったはずだった。今思えば、あの誓いがあっけなく破られたその瞬間がこの悲劇の始まりだったのだろう。
というのも、この半年でボクのオナニーライフはすっかり元に戻ってしまっていた。
それどころかここ数ヶ月は、『成り上がり』で1日7回女とセックスして精根尽き果てた永ちゃんが言うところの “マジで太陽が黄色く見える” ほどに行為も回数をきわめる始末で、ボクは『ハスラー2』のポール・ニューマンとは雲泥の差ほどの愚にも付かぬカムバックを果たしていたのである。
我ながら全然懲りてない辺りが実に情けないのだが、まぁ早い話、前回そういう行為をしすぎたあげく自分がどんな目にあったかなんてスコーンと忘れてしまっていたんでしょうな。“忘れやすい” というのは人間の性質でもあるが、これも人が過ちを繰り返してしまう原因の一つということなのだろう。とにかく、過去の反省なんぞどこ吹く風、ボクはまるで何事もなかったかのように陰部でパトスをほとばしらせまくっていたわけである。
そういえば話は逸れるが、前回のボクの “オナニーちょっとイイ話” を読んでくれたという奇特な女性が知り合いに何人かいたのだが、彼女達のボクへのレスポンスというか、その態度で少々気になることがあった。
というのも、どうもみんないつもと様子が違ったのである。何がといわれれば、兎にも角にもその応対。
余所余所しいのだ。もう明け透けに。あれは一体どういうことなのだろうか?
あんまり素っ気ないので、五分後の世界(村上龍)的なパラレルワールドにでも来ちゃったのかな〜と混乱したぐらいだ。とにかくつれないのである。
他に原因が思い当たらないので、おそらく前回の文章が彼女達に何かしらの影響を与えているとしか考えられないのだが、もしだ。もしそれがボクの例の行為に対する軽蔑及び回数に対するドン引きからきているのであればだ。
心外なのである。
雪の女王のアナがどうとかいう映画で、みんなあれだけありのままの素顔見せるのをリスペクトしておきながら、エルサの氷の魔法は良くて、おじさんのオナニーはダメって、そんな “ありのまま差別”、アナが許してもオナニーおじさん許しませんよ。
生理的に無理というならまぁ仕方がない。しかし、短絡的に捉えられてあしざまに冷たくされたとあっては、不本意なのである。
これは決して自分が冷たく当たられているから突っかかってるわけではなく、そんな表面的な物の見方ではあなた方の人間性が矮小なものになってしまうんではないかと心配してオナさん(オナニーおじさん)言うとるんやで。(関西弁)
いいか? その偏狭で世間知らずな脳みそによく刻んでおいて欲しい。
「男はこんぐらい皆やってます!!」
女もやっているはずなのだが、最近の女性はしらばっくれてるのか本気でしないのか忙しいのかストイックなのかそういうプレイなのか、とにかく性に対して愚鈍な姿勢を貫くという方も実際いらっしゃるようなので、とりあえず確実に励んでいるであろう男に限定した言い回しをさせてもらったが、もとより人は誰もが皆自分のエルヴィスをコスっテロしてしまう必然性もちあわせているものなのである。
『ウルフ・オブ・ウォールストリート』でディカプリオの上司も「一日二回以上はしろ!仕事中もしろ!」と言っているように、これは人間の生理現象の一環だ。寝食と同じでオナニーによっても人々の調子は整えられる。
恋人も、旦那も、友達も、知り合いも、会社の同僚も、好きなアイドルも、あんたが「だ、る、ま、さ、ん、が、こ、ろ、ん、だ〜......」とか言って見えていない隙にメチャしているのである。どうかと思うぐらいシコシコ、ゴシゴシしている。なぜならば、それが自然の摂理だからだ。人間の本能であり、行動規範である。
それを知ってか知らずか否定するというのは、大袈裟にいえば人間を否定していることと同じであることをあなたは自覚しなければいけない。いや、もうこの際人間否定も結構。しかし、そのスタンスは非常にもったいないことだとボクは思うのである。
かといって、別にノリノリになれと言うとるわけではない。「私も昨日の夜擦りすぎて、あンコがマかくなっちゃってぇ〜」なんて発表されても、タイガーバームでも塗っとけば? ということになる。そういうこっちゃなくて。要はもうちょっと “慮れ” ということだ。全てのことは地続きなのである。
軽率な否定はあなたの世界を狭める行為に等しい。理解の先の否定はあっても、否定の先に理解はないからだ。
これは無理強いでも価値観の押しつけでもなく、ささやかな提案として言わせていただくが、何かを否定・拒否する前にまずは理解に努めてみてはいかがだろうか。切り離さずに、享受する。そうすることが、あなた自身のキャパシティーを広げることに繋がり、言い換えればあなたの視野を広げることに繋がっていく。視野を広げるということは、ある意味で不具合をもたらす可能性も含有するが、それも引っ括めて確実にあなたの人間性を豊かにし、あなたの精神を強くする。
松たか子の楽曲に『みんなひとり』という曲があった。
確か、“みんなひとりぼっちなんだと知ったことでいろんなことがわかったぉ” みたいな曲だったと思うが、この曲にあやかってこう考えてみようではないか。
『みんなオナニー』
どうだ。松たか子もいい迷惑だろう。
何かを引き合いに出すのはとても稚拙で無意味なことなのだが、ここはもうあえて言う。繰り返しになるがもう一度言う。
みんなしてます。
あなたがしてないんだとしたら、むしろそっちがマイノリティー。
とはいえ、別にそういう行為をしないことをこちらは否定はしない。軽蔑も差別もしない。世の中は二律背反。そういうスタンスも一つの選択である。ただ、その逆も然りであることを忘れないでいただきたいということだ。オナニーをしない人もいれば、する人もいるのである。しない人が潔白でも、する人が醜穢でもないっちゅーことです。
そして、やったことに関して回数どうこうでくだらないカテゴライズをするのもやめましょうや。
オール・オア・ナッシング。『千と千尋の神隠し』で釜爺も言っていた。「手ぇだすんならしまいまでやれ!」と。しまいまでやろうではないか。やるべきなのである。インポになるその日まで。泉が乾いてしまうその日まで。
『マグノリア』でトム・クルーズもアジっていたが、「リスペクト・ザ・コック! テイム・ザ・カント!!」である。
ただ、それも度が過ぎると痛い目に合う可能性がありますよというのが前回のお話だ。まぁ、痛い目にあうっつーのも人生におけるひとつのコクなので、どんなことにせよ皆さんには臆せずガンガントライしていってもらいたいところですな。余計なお世話だが。
......で、何? 何の話だっけ? あぁ、そう、とにかく半年前同様コックをリスペクトしすぎたのが再びの引き金となり、ボクの股間が大変なことになったという用件である。
異変に気付いたのは、その日の朝のモーニング・オナニー時にパンツをおろした時だった。
あまりに下ネタ過ぎるので、何と説明していいやら非常に表現に難しいのだが、男性の棒の部分の先、いわゆるカリオストロの城から一段下がったお堀周辺の部分が、どうかと思うぐらい腫れているのである。
天変地異。王蟲の出現。審判の日。松田優作なら「なんじゃこらぁぁぁああああ!!!」という場面で、ボクはもはや泣きそうになりながら漠然とした危機感に頭が真っ白になった。
“とんでもないことが起こっている”
それだけはわかる。
このまま放置して、腫れに腫れたあげく破裂してよくわかんない胞子が飛び出して、マスクをしなければ5分で肺が腐ってしまう死の森を作り上げることになっては大変だと我に返ったボクは、震える手でズボンをあげると、一も二もなく例の泌尿器科へロケットスタート&キノコダッシュ&ドリフト&ミニターボ。
ビートルズの『ヘルプ!』をBGMに病院のドアを蹴破り、先生に事のあらましを説明した。
「なるほど...... それでは、ちょっと診てみましょうか」
前回同様、診察は触診へと展開。
手袋を装着すると先生はまず異変が起こっているパイレーツ・オブ・カリビアンの部分を目視。そして一言。
「ほぅ......」
関心!?
ひとしきり観察すると、今度は腫れた部分をプニプニと押したり、つまんだり、さすったり、デコピンしたり、指で散歩したり、ファブリーズしたり......以下略。
「痛い?」
「いや、痛くはないです......」
何かを確信した先生は手袋をゴミ箱にダンクすると、ボクにきっぱりと告げる。
「硬化性リンパ管炎だね」
当然聞いたことのない病名である。ボクは返す刀で先生に尋ねた。
「わ、悪い病気か何かですか?」
「いや、リンパが詰まって固まって腫れてるだけですよ」
その言い草から、どうやらそこまで深刻な事態ではないことを察したボクはややホッとしながら先生にその原因を聞いてみた。
「射精のしすぎだね」
またか! 心の中でズッコけた。まさに “歴史は繰り返す” である。しかし自分で同じ轍を踏んでる辺りクールじゃない。
気恥ずかしいキモチで頭をポリポリ掻いていると、先生の口から言葉は続けられる。
「もしくは......」
えっ!? 思いも寄らない接続詞に意表を突かれたその刹那。先生が衝撃的な事実を突きつけてきたのである。
「強く握りすぎてるんじゃない?」
つよ......く? えぇ!!?
ユイちゃん、事件でがす。
どうやら行為の際、アレを強く握りすぎることにも原因があるというのである。
強くったって、そもそも強さの線引きがよくわからないわけで、握りすぎているかどうかなんて客観的に判断しようもないのだが、発言を受けたボクはといえば、とにかくその時率直にこう思った。
“それだ!!” (真顔)
右ストレート一発。クリーンヒット。ボクのSHAMEな部分は先生のその一言で完全にノック・アウト。
コーナーで灰になって風に吹かれていると、先生からはこんなシンプル・アドバイス。
「あんまり強く握らないようにね」
ボクのチンコ取扱説明書に新しい注意事項が追加された。
昔、落合がバッティングの際グリップの握りは “強すぎず緩すぎず” と言っていたが、やはりここらへんも塩梅なのである。
かくして、薬を処方してもらい、自慰行為も控えるよう改めて念を押され診察は終了したのだが、診察室から退室しようとしたその出際のことだ。
先生が、 “それでもコイツはまたやりかねん” と踏んでのことかどうかはわからないが、荷物を手に取るボクに向かってさらに釘を刺すような一言を浴びせてきたのである。
「薬飲んで自然治癒しなければ、手術して切開ってこともあるのでね。くれぐれも安静にだよ」
えっ? である。
瞬間、ビビってチンコがタニシになった。肛門が0.2mm閉じた。乳首が陥没した。
診察室退場のBGMが、クワイ河マーチから急〜に『サイコ』のシャワーシーンの効果音になった思い。
手術て!!
医者がそんな患者の不安を煽ぐようなことを言うかね!? フツー!
よかれと思っての脅しであったにせよ、デリケートなボクは一気に青ざめた。
さすがに手術はキツい。いや、正確には、チンコの手術はキツい!
例えば、もし自然治癒せず、万一手術になったとして、その時、その瞬間に、その日の執刀医がたまたま人生どうでもよくなってしまったらどうだ。急〜にクッキングパパみたいなテンションになって、縦にメス入れて、中をくり抜いて、果物と寒天添えて、はい、フルーツポンチの出来上がり☆ なんてことに成りかねんのである!
想像しただけで、めちゃブルーである。
それだけはキツい! 「チンポがポンチにされちゃってさぁ〜」なんて、さすがにギャグにもならん。いや、ギャグにはなるが、確実に下半身の人権が失われる。
“絶対に自然治癒させなければいけない”
使命は下された。
その日からボクはもうミスター・ストイック。
オナニー? 何それ? 食えんの?
セックス? どこ、それ? 地球? である。
人間、自分にとっての深刻さが増すとこうも奮励するものなのであった。
で、その後の経過はというと、おかげさまでと申しましょうか、完全禁欲の成果もあって事態は無事自然治癒をもって終息する。
さらに不幸な展開にならなくて皆さんはさぞ面白くないことでしょうが、ボクは心底ホッとした。
治ってよかった。本当に。(しみじみ)
それでも何ヶ月もの時間を要しての完治だったので、なかなかタフな病だったことは間違いないだろう。
そして治癒後しばらくしてのことになるが、ボクは今回のこの出来事が自分をどれほど脅かすものであったかを改めて思い知ることとなる。
というのも、ある日に気付いたのである。
“そういえば最近あんまりしてないな......”
そう。あれ以来すっかりコンサバティブな I & mine。あまりオナニーをしなくなっていた自分がそこにいたのだ。
無意識だった。しかし、思い巡らせばその原因は安易に想像がつくところのもので、要はこういう心理状態なのであった。
“再発にビビってる”
ナイーブなのである。自分でいうのもなんだが。
人はなかなか変わるもんではないが、自分にとって事態が重大で深刻であればその分自戒の機能が正常に作用するということなのだろう。まぁ、人間っちゅーのはとことんデタラメな生き物らしいので、これも何の当てにもなりゃせんのだが。
ともあれ、再び泌尿器科のお世話になることがないように、今回の出来事をよ〜く肝に銘じておく必要があることは確かだ。風化させてはいけない。それにはこの出来事を出来るだけ忘れないように自分の中で印象づけておくことが重要になる。そこで、自分に降りかかった不幸を正しく還元するという意味においても、考え得る最善のアクションとなるのがこの行為なのであった。
「ネタにする」。
発表である。友達に会うたびに披露。出来事をエピソード化することで記憶を引き出しから出しやす〜くしておくという手法。
ボクは早速今回の出来事をネタにして方々に発表した。
しかし、いかんせん友達のいないボクだ。近所の井の頭公園にいるマブダチの蟻さんとバッタ君に話したところで、これがなかなか手応えがない。
そんな折、先輩のイラストレーターがアシスタントとして出演しているラジオ番組で、こんな募集をしていることを知る。
「電話出演したい人募集!あなたの○○な話聞かせて下さい」
しめた!!(つづく)
|
|
|
|
|
#3『バトル・ウィズ・マイセルフ』 <
| MAIN PAGE |
> #1『愛と哀しみの果て』
|
|
|
|